五輪に出たいという思いは一切なかった

小鴨 でも私はフルマラソンが初めてで、しかも20歳と最年少。そんな新人に期待する人は誰もいなかったはず。そもそも、私はあの大会が五輪選考レースだとは優勝するまで知らず、五輪に出場したいという思いは一切なくて、ただこれまで練習してきたことがどこまで通用するのか試したいという思いだけでした。まだ社会人2年目で、前年の11月に行われた「神戸20キロ女子ロードレース」で、チームの先輩の浅利さんに次いで2位だったので、監督がご褒美で出場させてくれたんです。

 スタート前、監督から「クリスチャンセンについて行け」と言われていたけど、直前になって「彼女は調子が悪そうだから、ピッチの速さが私に似ているゼッケン6番のカナダの選手に付け」と。ところがスタートしたものの、6番の選手が見当たらない。それで、自分のペースで走っていたら、徐々にみんなのスピードが遅くなり、ゴールのスタジアムには思いがけず独走という形でたどり着きました。

「人生のターニングポイントになったのが、20歳で出場した大阪国際女子マラソン。48歳の今も各地のマラソン大会にゲストランナーとして声をかけていただけるのは、あの大会があったからこそです」
「人生のターニングポイントになったのが、20歳で出場した大阪国際女子マラソン。48歳の今も各地のマラソン大会にゲストランナーとして声をかけていただけるのは、あの大会があったからこそです」

小鴨 初レースだったからもちろん優勝の経験もない。ゴール地点100メートル手前になって、どんなポーズでフィニッシュすればいいんだろうと焦り出し、訳が分からないままゴールしたので、ガッツポーズではなく片手を少し上げるという、何とも中途半端な形でフィニッシュしてしまったんです。

―― その後、この大会で2位になった松野さんが会見で「五輪に私を選んでください」と発言し、陸上界を揺るがせました。