今回は、1984年のロサンゼルス五輪に出場して8位に入賞。演技の美しさから“妖精”と呼ばれた山崎浩子さんの(下)です。引退後は新体操日本代表を指導し、2019年の世界選手権では団体総合銀メダル獲得に導きました。山崎さんが新体操を始めたきっかけ、ピーク時に引退したときの思い、世界を相手に戦う中で、心が弱ったときの“特効薬”について聞きました。

(上)年350日合宿、新体操指導にささげた17年
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心が満たされている理由は“推し”がいるから

―― 強化本部長に就任したのが44歳で現在は61歳。40、50代をほぼ新体操の指導にささげたことになります。その間、他の人生を模索したことはなかったのですか。

山崎浩子さん(以下、敬称略) うーん、あまり自分の人生について深く考えたことがなかったですね。自分のことにあまり興味がないというか……。実は私、あまり情熱はないんです(笑)。ただ、人一倍使命感や責任感が強いので、引き受けた以上は世界で戦える道筋をつけなければならない、という思いだけでここまで来ました。

 東京五輪は納得できる成績ではなかったものの、北京五輪から連続で五輪には出場、入賞できていますし、2017年の世界選手権では総合で3位、2019年には銀メダル。ロシアやイタリア、ブルガリアなどの強豪国に近づいていると思います。

山崎浩子(やまさき・ひろこ)
山崎浩子(やまさき・ひろこ)
1960年、鹿児島県生まれ。鹿児島純心女子高校時代に新体操を始め、インターハイ、国体で団体優勝。東京女子体育大学に進学後、全日本選手権5連勝。1984年にはロス五輪に出場し、8位入賞。同年引退。引退後は後進の指導にあたる傍ら、テレビ番組「クイズダービー」に出演し、スポーツライターとしても活躍。2004年に新体操の強化本部長に就任。2021年まで務めた。※崎の本来の表記は「大」部分が「立」の「たつさき」

―― それにしても娘、へたをすると孫(笑)世代の選手たちと15年以上、毎日共に過ごすのはきつくなかったですか。

山崎 その環境に疑問を持つことはなかったですね。オンとオフはきっちり分けていましたし、一人で部屋にいるのは好きなほうなので。絵を描いたりレゴブロックにはまったり、マイブームは年々違ったのですが合宿生活を結構楽しんでいました。

 私は多分、幸せの基準が低いんだと思います。毎朝、大好きなブルックスのドリップコーヒーを口に含んだ瞬間「あ~、幸せ」と思うし、温かいシャワーを浴びても「幸せだなあ」って。遠征先で、水しか出ないシャワーを何度も浴びていますからね(笑)。ちょっとしたことにすぐに幸せを感じてしまうんですよ。

 でも、私の心が満たされている一番の理由は“推し”がいることですね。Kis-My-Ft2(キスマイ)です。私は飽きっぽくて、マイブームは毎年のように変わるのに、キスマイだけは2014年から変わらず推しなんです。