オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。今回は、1984年のロサンゼルス五輪に出場して新体操個人総合8位に入賞。演技の美しさから“妖精”と呼ばれた山崎浩子さんです。引退後は新体操日本代表を指導し、2019年の世界選手権では団体総合銀メダル獲得に導きました。
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44年ぶりの銀メダル獲得。ロシアに警戒されて…
―― 遅くなりましたが、東京五輪お疲れさまでした。山崎さんが強化本部長を務めた新体操日本代表はメダルが期待されていましたが、団体総合で8位入賞に終わりました。
山崎浩子さん(以下、敬称略) 2019年の世界選手権の好成績が皮肉にも東京五輪の足を引っ張ってしまったように思います。あの試合で日本は44年ぶりに団体総合で銀メダルを獲得しただけでなく、種目別の「ボール」で史上初の金、「フープ・クラブ」で銀メダルを取ったことで、東京五輪でもメダルを期待されるようになりましたけど、世界選手権はちょっと出来過ぎでした。
それまで日本は、新体操王国のロシアに教えを請い、ヘッドコーチにはそれまでユニバーシアードのヘッドコーチでもあったインナ・ビストロヴァさんを迎え、代表合宿も年間100日くらいはサンクトペテルブルクで行っていたんです。でも、2019年の世界選手権で日本の躍進に脅威を感じたのか、ロシアがコーチを出してくれなくなり、コロナ禍もあってロシアでの合宿もできなくなりました。
山崎 環境の変化に選手たちが戸惑ってしまったことに加え、2018年にルール改正が決定し、演技の難度を示すDスコアの上限が廃止されたことから、難易度の高い技を詰め込む神経戦が各国で繰り広げられるようになりました。簡単に言うなら、5秒に1回織り込んでいた難易度の高い技を3秒に1回は織り込まないと上位には入れなくなったんです。フィギュアスケートで言うなら連続4回転をやり続けるようなものでしょうか。
―― 確かに素人が見ていても演技の内容に目が追いつかず、スローモーションで見ないと技の高さが理解できません。