オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。
(上)長野五輪の金で「里谷フィーバー」 自我を通して失敗も…
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「若い選手の台頭」は私の引退理由にならない
―― 里谷さんにとっては最後の五輪となる2010年のバンクーバー五輪前も、かなりつらい時期を送っていましたよね。
里谷多英さん(以下、敬称略) 2006年のトリノ五輪直後、長年の疲労のせいで腰と首を痛め、2年近く休まざるを得ませんでした。リハビリを兼ねて一人で練習をしながらバンクーバーを目指していたのですが、30歳を過ぎていたせいか、全日本スキー連盟からは暗に引退をほのめかされました。若い選手が台頭してきているからって。
でも、私は納得できなかった。個人競技なのになぜ年齢で選別されるのか、実力順に選ばれるべきだと。だから、百歩譲ってベテランに厳しい基準を設けてもいいから、日本代表の選考基準を明確にしてくれと食い下がった。全日本スキー連盟から出された返答は「全日本選手権で3位以内に入ること」でした。
そんなこともあり、2008年の全日本選手権の前夜は緊張で一睡もできなかった。あんなにピリピリした経験は、五輪でもなかったです。この試合には自分の全人生が懸かっていると思い込んだのと、アスリートが年齢で判断されることへの怒りみたいなものが絡み合って、興奮していたんでしょうね。たぶん、あのときの私には誰も声を掛けられなかったんじゃないかなあ(笑)。結果、優勝しましたよ。
―― モーグルにすべてを懸けてきた里谷さんが2013年1月に引退を発表。引き際の決め手になったのは何ですか。