オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。

(上)長野五輪の金で「里谷フィーバー」 自我を通して失敗も… ←今回はココ
(下)36歳で引退、新人研修で3年頑張ると決意

里谷多英(さとや・たえ)
里谷多英(さとや・たえ)
1976年、北海道生まれ。フリースタイル・モーグルで1994年のリレハンメル五輪から5大会連続で五輪に出場。1998年の長野五輪では、日本女子で冬季五輪史上初となる金メダルを獲得。2002年のソルトレークシティー五輪では銅メダル。北海道東海大学を卒業後、競技を続けながら1999年にフジテレビに入社。2013年に引退後は、イベントなどを企画・運営する総合事業局で働いている

日本中が大興奮した長野五輪での金メダル

―― スキー競技のフリースタイル・モーグルで冬季五輪に5大会連続で出場し、2013年に36歳で引退。所属のフジテレビに戻ってからもうすぐ7年がたちますが、今や社内でも「仕事ができる社員」と評判のようですね。

里谷多英さん(以下、敬称略)いや、まだまだ……。上司と同僚に恵まれているだけです。現在、総合事業局イベント事業センター・販売企画部に所属していて、主な仕事はイベントの企画・立案、イベントのプロデュース、チケット販売、協賛会社への協力要請などです。一からイベントを立ち上げ、それを成功させるためにはどんなスキームで、どういった人を動かせばいいのかと考えることが面白い。

 何よりイベント事業センターは、目に見える形で結果が出るのでやりがいがありますね。仕事って、自分が今頑張っていることが会社にとってどんな功績になるのか、なかなか目に見えないじゃないですか。でも、今の仕事は入場者数、チケット販売数、あるいは売り上げなど数字で直接的に表れる。それが燃えるんですよね、絶対負けたくない、って(笑)。長年の現役生活で培った負けず嫌いな性格が、仕事にも出てしまうんですかね。

―― それにしても、1998年の長野五輪の金メダルは印象的でした。日本開催でしかも冬季五輪史上女子初の金だったこともあり、日本中が「里谷フィーバー」に沸きました。

里谷 私が大学生だった21歳のときですね。でも残念なことに、あのときの滑りは全く覚えていないんです。今も記憶はよみがえっていません。現役生活25年間でそれこそ数えきれないほど大会に出場しましたが、自分が滑った記憶がない試合が2つあるんです。

 1つ目は、小学6年のときに全日本選手権で優勝し、そのご褒美で出場したパンパシフィック選手権。気持ちよく滑れたので「優勝したかも」と思っていたら、付き添っていた父に「転んだぞ」って。でも、転んだ記憶が全くないんです。後でビデオを見たら確かに転んでいたんですけど、その感覚が全くない。

 だから、長野もフィニッシュしたときにまず思い浮かんだは「転んだかも」でした。