五輪の意味も分からなかった17歳

里谷 私は札幌市で生まれ育ったので常にスキーに触れる環境にありました。初めてスキーを履いたのは3歳。父が、3歳上の兄やいとこたちをたびたびスキーに連れ出していたんです。負けず嫌いの私は兄やいとこたちより上手に滑り、父に褒めてもらうのが何よりうれしかった。しかも、男の子でも滑らないような凸凹のあるこぶ斜面が大好き。それで父がモーグルをやらせてみようと思ったらしいです。でも当時はルールもよく分からなかったので、父は海外から練習方法などの文献を取り寄せていたみたい。

 小学6年で全日本優勝。中学1年は2位でしたが、中学2年から6年間は日本チャンピオンでした。

 初めての五輪は、17歳で出場したリレハンメル。このときは五輪の意味もよく分からず、有名選手にサインをもらって喜んでいました。その3年後、長野五輪の1年前に父ががんで急死。私の競技生活は父とずっと一緒だったので衝撃も大きく、もうやめたいと思った一方で、父にメダルをまだ見せていないという思いもあり、何とか長野五輪のスタート台に立ったんです。

 あのときは観衆の声援にも後押しされましたね。観客席を埋めた2万人の観衆が日の丸を振り「里谷~」ってコールしてくれる。ゾクゾクッとしました。それ以降は覚えていませんが(笑)。もしかしたら長野の金メダルは父というより、大勢の声援が取らせてくれたのかも。

―― 次の2002年ソルトレークシティー五輪では銅メダルでしたが、2006年トリノ五輪、2010年バンクーバー五輪ではエア(ジャンプをし、空中で技を組み合わせた演技)で失敗し、入賞できませんでした。