厳しい現実に直面すると思い出す、五輪の決勝

―― その後、慶応義塾大学に進み、2年の時に出場したアトランタ五輪のリレーで4位に入賞。井本さんの中ではどんな五輪になりましたか。

井本 オリンピアンになるという夢はかないましたけど、個人種目の200メートル自由形では予選落ちしたので成績には納得できなかった。だから慶応大学を休学し、米国の大学でもう一度シドニー五輪を目指すことにしたんです。ですが、最終選考でその目標はかないませんでした。

 ただその後、紛争国支援や難民援助の現場で、不思議と心が折れそうになることはありません。難題が起こると、決まってアトランタ五輪の決勝を思い出すんです。夢をかなえた場所は本当にキラキラ輝いていた。あの場所にたどり着けた私は、目の前の難題も必ずクリアできるという自信の源になっていますね。

 (下)では、井本さんがシエラレオネやルワンダなどでの活動について語ります。お楽しみに。

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五輪で取れなかった金メダル。人道支援の道では負けない

取材・文/吉井妙子 写真/洞澤佐智子