「プレッシャーをかけ過ぎ」と気づいて力を抜いた

井本 実は再挑戦の一番のモチベーションになったのが、小学6年のときに自分が出した学童新記録の記憶です。私には才能が無いわけではない。何かやり方が間違っているから今は成果が出ないのではないかと分析したところ、分不相応な高い目標を掲げ、自分にプレッシャーをかけ過ぎていることが分かった。不必要な力を抜いて泳いだところ、泳ぐたびに自己ベストのタイムを更新することができたんです。

 アトランタ五輪を目指して無心に水と闘っていた高校3年は、今考えれば私にとって大きなターニングポイントでしたね。広島で開催されたアジア大会の選手村で衝撃的なシーンを目にしたんです。

20歳で出場したアトランタ五輪では、4×200メートル自由形リレーで4位に入賞。決勝時に他のメンバーを祈るように見る井本さん(写真提供/井本さん)
20歳で出場したアトランタ五輪では、4×200メートル自由形リレーで4位に入賞。決勝時に他のメンバーを祈るように見る井本さん(写真提供/井本さん)

1日で1万人も虐殺されたことを知り、五輪後の道が決まる

井本 栄養管理に気を使いながら食事をしている私たちの横で、途上国から出場した選手たちがアイスクリームやプリンをたくさん食べて、カップを高く積み重ねて喜んでいた。選手村は食事がすべて無料なので、パフォーマンスを上げること以上においしいものをたらふく食べることの方が優先されていた。ここでもまた、恵まれている自分との差を実感しました。

 そして同じ頃、新聞を読んでいるときに、ユーゴスラビア内戦記事の隅っこで、ルワンダで100日のうちに100万人の人が虐殺されたという記事を見つけました。1日で1万人。私がのんびり新聞を読んでいる間にも何百人何千人の尊い命が奪われていると思ったら、いても立ってもいられなくなりました。この時にはっきりと五輪の後に進むべき道が定まったんです。