海外遠征で「恵まれている自分」に気づく

井本 中学2年から日本代表に選ばれ、海外遠征や国際大会の場で海外の選手と触れ合うようになって、その国の文化や政治、経済の違いに自然に興味が湧くようになったんです。同じ水泳選手なのに、ボロボロの水着を着ている選手、チームウエアがなくTシャツ姿の選手がいる。タイムが遅い選手の練習環境を聞けば、自国にはプールが無いとか……。

 子どものころから新聞を読むのが好きだったのですが、目の前の選手たちの泳ぎやプールを出た姿から現実を理解し、恵まれた自分との差を実感しました。その頃から、いつかは国際的な援助の仕事をやってみたいと考えるようになったんです。

―― 高校1年の時には、バルセロナ五輪の出場権を0.1秒差で逃しました。厳しい練習に耐えてきたのでショックが大きかったのでは?

井本 親に泣きじゃくりながら電話しました(笑)。当時、水泳選手のピークは中・高生で、大学生はオバサン扱い。次の五輪を狙うとなると20歳になってしまう。もう無理かなと思ったけれど、どうしても五輪の夢は諦められなかった。

 しかも同年代に千葉すずさんや源純夏さんという強力なライバルがいて、私はいつも2位。「シルバーコレクター」を卒業したいという強い思いもありました。

小学6年のとき、自分の意思で親元を離れて単身大阪へ。「水泳をやっていなかったら、今のような国際的な活動をすることもなかったでしょうね」
小学6年のとき、自分の意思で親元を離れて単身大阪へ。「水泳をやっていなかったら、今のような国際的な活動をすることもなかったでしょうね」