オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。今回は、日本バスケットボール協会会長として、東京五輪での銀メダル獲得をけん引した三屋裕子さんです。
(上)女子バスケ準決で浮かんだ苦い記憶…バスケ協会三屋会長
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ピアスの穴を開けて、バレーへの未練を断ち切った
―― 1984年のロス五輪直後、すぐに高校の教壇に立ったということは、現役引退をすんなり決断したんですね。
三屋裕子さん(以下、三屋) いやあ、そうでもなかったですね……。「五輪後に引退する」とチームには告げていたんですけど、再活動するチームメイトを見ると、置いてけぼりになったというか、就航する船を見送る感じというか、割り切れない思いがずっと残っていました。その後たまたま実家に帰ると姉がピアスをしていたんです。姉が「あなたは無理よね。耳に穴をあけると当分汗をかけないから」というのを聞き、私もすぐにピアスの穴を開ける施術をしました。バレーに対する未練をこれで断ち切きろうって。
私が今、現役のアスリートたちに「今の瞬間」を大事にしてほしいと常々口にするのは、自分のそういう反省があったからです。確かに私も、現役時代はいかにサボるかとか、練習中に手を抜くことを考えたこともあったけど、現役中の輝きはそうは長くはない。人生で最も輝くかもしれない瞬間をもっと大事にしてほしいんです。引退したら2度とその時には戻れない。現役選手は今、人生の至福の時にいることを認識してほしいですね。私は今、自分の現役時代がいとおしい。
そして私が「アスリートファースト」を唱えるのは、人生の最も濃い時間を過ごしている選手たちに、万全の環境を整え支援していきたいからなんです。
―― 国学院高校から学習院大学講師へ。その後、母校の筑波大学大学院に進みました。