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オリンピアンの栄光と挫折

女子バスケ準決で浮かんだ苦い記憶…バスケ協会三屋会長

(上)女子バスケ銀メダル獲得の立役者・三屋裕子さん。ロス五輪での「最低の銅メダル」を超えて


私の決断に、がっくりと肩を落とした母

三屋 進路を迷った揚げ句、「このままでは終われない」という思いが強くなり、今しかやれないバレーの道を選択。その決意を母に伝えた瞬間、私の視界から母の姿が消えるほどがっくり肩を落としていました。また婚期が遠のくと(笑)。

―― そもそも中学時代、走り幅跳びや走り高跳びの県大会で優勝した選手がなぜバレーを?

三屋 小学校の頃から背が高く「でけー!」「でか女」と、意地悪を言われていたんです。中学に入っても背中を丸めて廊下の隅を歩くような暗い生徒だったけど、ある先生に「背の高さを武器にできるバレー」があることを教わったんです。選手としてはそれほどの技量はなかった。でも陸上で鍛えたジャンプ力を買われ、東京の八王子実践高校からスカウトされました。

 だけど両親は大反対。八王子実践高校は春高バレー、インターハイ、国体の3冠を取るほどの強豪校。当時は八王子実践から実業団の日立製作所へというのが女子バレー選手の王道だったので、その道を歩ませたくなかったのでしょう。だから入学する条件に「卒業しても実業団には行かせない」という念書を監督に書かせていましたからね(笑)。

―― バレーの強豪高校から当時の国立一期校だった筑波大学を目指すのは大変だったのでは。

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