オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。

(上)ロス五輪は「屈辱の銅」だった
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中田久美(なかだ・くみ)
中田久美(なかだ・くみ)
1965年、東京都生まれ。ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ五輪に出場後、引退。2008年イタリアプロリーグセリエAに所属するチームのコーチに就任。日本人女性初の海外バレーボールチームの指導者に。2011年に久光製薬スプリングスのコーチ、翌年には監督に就任。女子チームで初となる3冠を達成。2017年から全日本女子バレーボールの監督。

「このけがでスポーツ界に戻った人はいない」からの復活劇

―― ロス五輪では「屈辱の銅メダル」でしたが、ソウルでは4位、バルセロナでは5位。メダル獲得はなりませんでした。

中田久美さん(以下、敬称略) 20歳で全日本の主将になり、ソウル五輪に向かってさあこれから、というときに右膝の靭帯を断裂してしまったんです。ソウル五輪まで2年を切っていた。医師には「日常生活ができるようになるだけで御の字」と言われ、「このけがでスポーツ界に戻った人はいない」と告げられましたけど、「だったら私が復帰第1号になってやる」と苦しいリハビリに耐えました。1年後に復帰。でもがくぜんとしました。自分の感覚に体が追いつかないんです。消えない激痛にも悩まされました。

 ソウル、バルセロナでは痛み止めを注射しながら出場しましたが、後で当時の映像を見ると足がパンパンに腫れ上がっている。今思うと、あんな体でよくトスを上げ続けたなと思いますね。バルセロナ後に12年間の現役生活に終止符を打ちました。自分ではやり切ったと思ったし、金メダルを取れなかった悔しさは、心の底に封印してしまおうと。

―― 引退後に29歳で結婚し、離婚。その後はパリコレモデルやバレーの解説者、テレビコメンテーターとして活躍しました。

中田 結婚生活は3年と短かったですね。モデルの話はいろいろいただいていたのですが、どうせならパリコレを目指そうと思いました。