イタリアでの屈辱の2年間を乗り越えて

中田 でも、その後、選手たちが「久美は何者?」とネットで調べて「世界のベスト6」にも選ばれたことがあると分かったようで、次の日から態度がコロッと変わっていましたけど。2年目には午前中、地元の小学校に通いながらジュニアの指導をさせられていました。

 イタリアでの2年間は屈辱の日々でしたけど、本当に自分が現場に戻りたいのか見直す時期だったので、感情がぐしゃぐしゃになろうが、やり切ることのほうが大事だった。

―― 帰国後、久光製薬スプリングスの監督に就任すると1年目で国内のすべての大会を制覇。「久光王国」を作り上げ、2017年4月、全日本監督に就任されました。

中田 10年計画で全日本監督を目指してはいましたけど、まさか本当に10年目で就任できるとは。私の目標は東京で金メダルを取ること。選手たちにはこの3年間、自分の頭で徹底して考えさせ、「バレーIQ」を上げる訓練を行ってきました。強豪国には体で劣るので、瞬間的な判断や先を読む力で勝負するためです。現実的に金メダルは相当厳しいですが、でも、諦めるつもりは毛頭ありませんね。

取材・文/吉井妙子 写真/洞澤佐智子