父の死を契機に人生で「いる、いらない」を選別 残った金メダル

中田 父がいよいよ危ないというときに、私は何を思ったのか「パパ、思い残すことはないの」と聞いちゃったんです。すると「何もない」と即答されてしまった。衝撃的でしたね。私は父のように、人生の最期を迎えるとき「思い残すことはない」と言い切れるのか、自問しました。そして人生でいるもの、いらないものを選別していくと、最後に顔をのぞかせたのが金メダルでした。引退するときに、固く封を閉じたはずなのに、心の底でまだ燦然(さんぜん)と輝いていたんです。

 その時に、全日本の監督になってもう一度金メダルにチャレンジしたいという欲求が込み上げてきました。ただ、全日本監督は、やりたいと言ってやれるものではない。実業団で監督としての実績を作り、誰もが納得する形でしか推薦を受けることができません。私は10年計画で目指そうと決意しました。当時私は42歳。もう時間はありませんでした。

―― 決めた後の行動は早かった。すぐにイタリアに渡りコーチ修行に出ました。

中田 コーチは無給でしたね。イタリア語がほとんど分からないから1年目は戸惑ってばかり。ネット張りやボール拾いなど、用具係のようなこともしていました。選手に指導しようとしても聞く耳を持たず、あまりにも横柄な態度にペットボトルを投げつけ泣きながら家に帰ったことも。

「人生でいるもの、いらないものを選別していくと、最後に顔をのぞかせたのが金メダルでした」
「人生でいるもの、いらないものを選別していくと、最後に顔をのぞかせたのが金メダルでした」