現役時代に日の丸を背負った重さに比べれば…

中田 モデルクラブの社長に1週間で5キロ痩せてきなさいと言われ、即実行。社長は私の意思を確かめたくて高いハードルを与えたみたい。でも実際に痩せてきた私を見て驚いていましたが、現役時代に日の丸を背負った重さに比べれば、短期間での痩身なんて簡単でした(笑)。花井幸子さん、イブ・サンローラン、そしてエルメスなどのランウエイを歩きました。

涙を流して反対する母を振り切り、中学2年生からバレーのために寮生活を始めた。中学3年生にして「金メダル以外は価値がない」と腹をくくり、通信制の高校へ進学する道を選んだ
涙を流して反対する母を振り切り、中学2年生からバレーのために寮生活を始めた。中学3年生にして「金メダル以外は価値がない」と腹をくくり、通信制の高校へ進学する道を選んだ

 バレー中継の解説は10年近くやりましたが、外からバレー界を見ていて「これでいいのか」といつも感じていました。私の名前をインターネット検索すると必ず「てめえら、この野郎」という一文が出てくるそうですが、それは確かアテネ五輪の直前のこと。五輪出場権を手にした選手たちがテレビ局ではしゃいでいました。私からすれば、女子バレーは金メダルがミッションのはずなのに、出場権を取ったくらいで浮かれている。そんな後輩たちに、勝負はこれからと「活」を入れるつもりで言ったんですけど、まさかマイクがオンになっていたとは。

 ただ、中継席に座りながら、女子バレーの実力や人気が徐々に下降線をたどる現実に、焦りを感じていたのは事実。私たち世代が女子バレーの伝統を後輩につなげていなかったんじゃないかと、自責の念もありました。

―― ちょうどその頃、心の支えだったお父様ががんで余命3カ月の宣告を受けました。