ロス五輪までは、記憶がなくなるほど練習した

中田 そう、ほとんど記憶がないですもん。その時期の私は全日本のジュニアとシニアを掛け持ちしていて、ジュニアはシニアの前座として試合が行われることが多かった。だから試合がもつれると、1日で10セットもトスを上げることになり、しかもジュニアとシニアではサインが違うから、もう頭はクタクタで体は泥のように疲れる。でも、夜になれば通信教育の勉強が待っている……。目の前のことをこなすのに精いっぱいで、眠いとか休みたいという感情さえも湧かなかったですね。これをやり切らなければ金メダルにたどり着けないという一心でした。

 ロス五輪までは記憶がないくらい練習したのに、結果は銅メダル。私にとっては屈辱のメダルでしかなかった。だから表彰台から降りた途端、「こんなものいらない」と首からすぐに外したし、日本に帰れないと思いました。

 今だったら、どんな色でもいいからメダルが欲しい! と思いますけどね。

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取材・文/吉井妙子 写真/洞澤佐智子