オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。

(上)14歳で金メダル、今も失われた2年間の記憶
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岩崎恭子(いわさき・きょうこ)
岩崎恭子(いわさき・きょうこ)
1978年、静岡県生まれ。1992年のバルセロナ五輪で競泳史上最年少金メダリストに輝く。20歳で引退。引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学。現在は、水泳・着衣泳のレッスンやイベント出演を通して水泳の楽しさを伝える活動を行っている

米国で「13歳の私に戻ればいいんだ」と気づいた

―― バルセロナ五輪以降、解離性健忘(非常に強いストレスにより過去を思い出せなくなる障害)になりながら、高校2年生になって自分を取り戻せたのは、何かきっかけがあったのですか。

岩崎恭子さん(以下、敬称略) その後も水泳は続けていたんですけど、環境の変化について行けず、成績はがた落ち。代表から漏れ、ジュニアの選手として米国のサンタクララで合宿を行いました。13歳で代表に選ばれたとき、初めて海外で行った合宿の場所でした。

 あのときと同じ水の匂い、同じ風景が、無心で泳いでいた13歳のときを思い起こさせたんです。この2年間、私は何をしてきたんだろうと、心が揺さぶられました。そして思ったんです、13歳のときの私に戻ればいいんだって。

アトランタ五輪への道のりは、金メダルと同じ価値

 一緒に合宿に参加した稲田法子ちゃんの活躍にも刺激を受けました。彼女も私と同じようにバルセロナ五輪後は不調でしたが、ジュニアで再スタートを切り、サンタクララの大会で日本記録を樹立した。衝撃的でしたね。おかげで、私の心に巣くってた黒い滓(おり)のようなものがさっぱりと洗い流された気分になった。そして、もう他人の視線を気にしながら生きるのはやめようと決めました。

 すぐに、アトランタ五輪に目標を定めました。ただ、アトランタ五輪選考会まで後1年半しかなかった。自分ではこれ以上できないというほど練習しましたね。私にとってアトランタまでの道のりは、バルセロナの金と同等の価値があると思っています。自分の意志でオリンピックを目指し、がむしゃらに練習して切符を手にしましたから。

―― それでも、バルセロナ五輪の頃のような泳ぎは取り戻せませんでした。