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オリンピアンの栄光と挫折

陣内貴美子 不妊治療の苦悩…今は、笑顔に勝る化粧なし

(下)頑張っても先が見えなかった不妊治療を終えたのは45歳。「バドミントン界の母」になるまで


オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に迫ります。今回は「news every.」(日テレ系)での「木原さぁん、そらジロー!」でおなじみの陣内貴美子さんの(下)。スポーツキャスターとして大切にしたこと、つらかった不妊治療…ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。

(上)現役時代に笑わなかった理由、五輪への思い
(下)不妊治療の苦悩…今は、笑顔に勝る化粧なし ←今回はココ

極度の緊張ーー2回戦で終わったバルセロナ五輪

―― 初めての五輪出場となる1992年のバルセロナ大会はどんな印象でしたか。

陣内貴美子(以下、陣内) 開会式は夢心地でした。日本選手団は関係者から一糸乱れぬ行進を命じられていたので、私はカメラを持たずに入場したんですけど、柔道のヤワラちゃん(谷亮子さん)が使い捨てカメラを取り出して撮影し始めたら、ほかの選手たちもやおらポケットからカメラを取り出してパチパチ。私も持ってくればよかったと後悔しましたね(笑)。だから開会式で自分が撮影した写真が1枚もないんですよ。

 試合はむちゃくちゃ緊張しました。あの記憶はいまだに鮮明ですね。前年の全英オープンで銀メダルを取っていたので、五輪でもメダルは取れると思っていたんですけど、体は緊張でロボットのような動きになっていました。

 五輪のエンブレムにやられてしまったんです(笑)。試合前の3分間練習では、体育館の照明の位置や風向き、観客の服装の色、気温などをチェックし、戦術を練るのがルーティン。白っぽい服装だとシャトルが見えにくくなるし、温度が1度違うと飛距離が4~5㎝ぐらい変わりますから。でもあのときは、そんなことに意識がまるでいかず、シャトルが飛ぶのか飛ばないのかさえ分からなかった。結果、私の五輪は2回戦で終わりました。

陣内貴美子さん
陣内貴美子さん
1964年、熊本県生まれ。16歳で日本代表に選ばれて以降、世界を舞台に活躍。91年の全英選手権女子ダブルスで銀メダル。バルセロナ五輪に出場し、93年に引退。引退後はスポーツキャスターとしてテレビやラジオにも出演。現在は日本テレビ「news every.」のキャスターを務める

―― 引退の決断はすんなりできましたか。

陣内 (選手生活を送るのは)バルセロナ五輪までと決めていましたし、五輪後、監督から「最高のバドミントン人生だったな」と初めて褒められ、現役に未練はなかったですね。そしてそのまま所属チームだったヨネックスのコーチに就任。

 ところが1年後に思いがけず、フジテレビからスポーツキャスターのお話をいただき、会社に相談したところ「バドミントンの世界しか知らないだろうから社会勉強してこい」と背中を押された。そして1994年にスポーツキャスターになったのを契機に、軸足をテレビ界に移しました。

 プロ野球ニュースは当時の人気番組。野球を知らない私に何ができるのか戸惑いましたね。野球の技術を聞くのは違和感がある。でも、選手としての悩みや葛藤なら私も経験している……そう考え、精神論で攻めました(笑)。いつしか選手の方から「こんなとき、陣内さんはどうしていましたか」などと声をかけてもらえるようになり、私でもこの世界でやっていっていいのかなと思えた瞬間でもありました。

 もちろん私の最大の武器は体を張ること。だから、今では考えられませんが、球団のユニホームを着て野球選手と一緒に練習もしましたし、キャンプにも参加しました。

―― トップクラスの体力を誇る野球選手に練習で勝ったというエピソードもあります(笑)。

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