3カ月間考え抜いて「やっぱり五輪に出たい」
陣内 1つ目は2年後にやっておけばよかったと後悔しないか、2つ目はほかの選手が出場する五輪をテレビの前で応援できるか、3つ目は体がそれまで持つかどうか、そして4つ目はこれが一番大事だったんですけど、日本のトップでいられる精神力を保てるかどうか。
3カ月間、自分にこの4つの問いかけをし、やっぱり五輪はアスリートの夢、やりたいという思いがフツフツと湧いてきました。
ただ、出場するには世界ランキング上位にいることが絶対条件。当時は今のようにパソコンをクリックすればランキングがすぐに分かるような環境じゃなかったので、自分が何位なのかはっきりしません。とにかくポイントを稼ぐためには国際大会に多く出た方がいいと、やみくもにエントリーしていましたね。勝ったり負けたりするたびにポイントは変動。それを確かめるすべもないので、その頃はかなり情緒不安定になっていたと思います。
現役時代に笑わなかった理由
―― 16歳で日本代表に選ばれて以降、長年日の丸を背負ってきました。そんな重圧があったのか「笑わない選手」とささやかれていました。
陣内 先輩たちが築いてきた強い日本のバドミントンを『陣内の時代に弱くなった』と言われたくない一心でした。当時は打撲や捻挫はケガのうちには入らない。骨折して初めて練習が休めるという指導でしたから(笑)。今考えれば日の丸が重かったのかもしれないけど、ほかの競技の選手などが笑顔を見せているのを私は信じられなかった。そういえば当時メディアの人たちに言われていましたね、「笑わない伊達公子、陣内貴美子」って。
伊達さんとはその頃、2人で新聞や雑誌の写真を見ては「もうちょっといい写真を使ってくれればいいのに……」「多分、私たちの笑顔の写真がないんじゃない」ってグチっていました(笑)。
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取材・文/吉井妙子 写真/窪徳健作