オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。

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(下)40歳でシングルマザーに。芽生えた自覚

岩崎恭子(いわさき・きょうこ)
1978年、静岡県生まれ。バルセロナ五輪選考会を兼ねた日本選手権残り1枠を姉と争い、出場権を獲得。当時のオリンピック記録を塗り替えるタイムで競泳史上最年少金メダリストに輝く。アトランタ五輪にも出場した。

「目標は決勝進出」だった14歳が手にした金メダル

―― 1992年のバルセロナ五輪で発した「今まで生きてきた中で一番幸せです」のフレーズは、27年たった今も多くの人の心にあります。

岩崎恭子さん(以下、敬称略) あのとき14歳になったばかりで、まさか私が金メダルを獲得するなんて夢にも考えていませんでしたし、そもそも私は決勝直前まで誰からも注目されず、期待もされていなかったと思います。実際バルセロナ五輪直前までは日本記録さえ破れていなかったし、世界のトップとは6秒近い差があり、平泳ぎ200mで6秒の差は決定的。私の目標は決勝進出でした。

 ですから予選で2位になり決勝進出を決めた時は「やったー!」ってガッツポーズ。日本代表の仲間たちも「恭子ちゃん、すごい」って喜んでくれたので、もう達成感がいっぱい。

 でもコーチから「もう1回泳ぐからね」と言われ「そっか」って。五輪の決勝戦がどんなにプレッシャーの掛かるものかあまり理解していなくて、試合直前におにぎりを5個も食べているんです。喉を通らないという友達の分も(笑)。

 状況をあまりのみ込めていないのがよかったのか、決勝当日は50mプールがなぜか小さく見えた。そして、ゴールしたらなんと私が1位。会場がすごく盛り上がっていて、体から湧き上がる喜びを表現しようと思い、とっさに出た言葉があのフレーズでした。

バルセロナ五輪決勝、ゴール寸前のすさまじい追い上げに日本中が熱狂した。だが、「今まで生きてきた中で一番幸せです」の名フレーズは、後に岩崎さんを苦しめる一因にもなった