バブルが弾けた後の日本の希望の光になった

―― 五輪のたびに名言が生まれますが、いつしか記憶の底に沈んでしまいます。でも、岩崎さんの言葉は今もなお、私たちの中に生き続けている。ご自身ではなぜだと思われますか。

岩崎 14歳の少女が人生を総括するような言葉を発したので、そのギャップに皆さん驚かれたんだと思います。現在41歳の私が、もし突然、中学生に「私の人生の中で……」と言われたら「は?」って思いますもん。ただ、まだ多くの人に覚えて頂いているのは、時代背景や環境などいろんな要素があると思います。

 バルセロナ五輪で金メダルをとったのは私と柔道の吉田秀彦さん、古賀稔彦さんの3人だけだったので注目度が高かった。最近でも、渡部香生子ちゃんや池江璃花子ちゃんなど若くして活躍する選手が台頭するたびに「岩崎2世」と称され、そしてあのフレーズがクローズアップされる。

 またオリンピック、元号が変わるなどアーカイブ的な特集のときは必ずと言っていいほどあの発言を取り上げて頂けるので、皆さんの記憶に刻まれることが多いんだと思います。

 平成から令和になるときも多くの取材を受け、ある記者の方に言われたことが印象的でした。それは、バブルが弾け、この先、日本はどうなるのかと目に見えない不安が漂っていたときに、未来ある中学生が金メダルをとり希望の光を与えてくれからこそ、あの言葉が今でも私たちの心に残っていると。うれしかったですねえ。

―― しかしその言葉はそれ以降、解離性健忘(非常に強いストレスにより過去を思い出せなくなる障害)になるほど、岩崎さんを苦しめました。

41歳、1児の母となった現在。金メダル後のつらい日々について話すとき、岩崎さんの目からは涙がこぼれそうになった
41歳、1児の母となった現在。金メダル後のつらい日々について話すとき、岩崎さんの目からは涙がこぼれそうになった