オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。
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17年間の選手生活に後悔はない
―― プロテニス選手を引退されて11年。今やスポーツ文化人としてテレビや講演、イベントなどで大活躍をされていますが、コメンテーターとして錦織圭選手や大坂なおみ選手を評するように、もし現役時代の自分を解説するならどんな表現をしますか。
杉山愛さん(以下、敬称略) 161㎝とテニス選手としては身体が小さかったので、職人さんのような微細な目でテニスを研究してはい上がってきた選手、ですかね。今改めて振り返ってみると、ホントにテニスが好きだったんだと思います。17年間の現役生活に全く悔いはないです。
17歳で世界ツアーにプロデビューし、当初は慣れない環境や遠征先の国々に戸惑いました。どこの国に行っても真っ先に探すのは中華料理店。お米が食べられるし、国によっては日本食を出すお店もあるので。でも、19歳の頃に、イタリアの地方都市で食べたイタリアンがあまりにもおいしくて、この2年間私はなんてもったいないことをしてきたんだろうと後悔(笑)。それ以降は遠征先の国々で地域に根付いた料理を味わうことにしましたし、その地域の文化や慣習も貪欲に楽しむようになりましたね。
―― 競技を問わず杉山さんの先輩世代は、海外遠征をかなり苦にしていましたが、杉山さんは1年のほとんどを国から国へと転戦しているにもかかわらず、その生活を日常化してしまっていると驚いたことがありました。
杉山 確かに、先輩たちのなかにはお米と炊飯器を持参して転戦していた方もいましたね(笑)。私は早くから各国の食事を楽しむようになっていたし、何より小学2年の時から世界ツアーに参戦するのが夢だったので、その夢がかなった喜びの方が大きく、英語も話せるようになっていたので、転戦のストレスはほとんど感じませんでした。
テニスを始めたのは4歳。父と母が所属していたテニスクラブについて行き、私もやりたいと言い出したみたいです。ピアノ、体操、フィギュアスケート、バレエなどお稽古事は一通りやったけど、テニスが一番好きでした。