伊達公子が引退――プレッシャーを背負って

杉山 子どもの頃から負けず嫌い。トランプで負けたりすると、プルプル震えて悔しがり、しまいには蕁麻疹(じんましん)を発疹するほど(笑)。勉強もしっかりやったかな。テニスをしているから勉強ができなくても仕方がないと考えるのが嫌で、夜、テニスアカデミーに迎えに来てくれる母の車の中でも教科書を広げていました。15歳で世界ジュニアランキング1位になり、世界を転戦するようになって、この頃から英語の重要性を感じるようになりました。

―― 順風満帆なテニス人生のように見えますが、挫折はなかったのですか。

杉山 いや、ありましたよ、大きな挫折が(笑)。忘れもしない、2000年、25歳の時です。ただ、あの挫折がなかったら今の私はないとはっきり言えます。

 その年のグランドスラム(GS、四大大会=全豪、全仏、ウィンブルドン、全米)の全米オープン女子ダブルスで優勝したのですが、自分はあくまでもシングルスプレーヤーとして世界で戦っていたので、シングルスで思い描くような成績が上げられず「辞めたい」という思いが突き上げてきたんです。日本女子テニス界をけん引して下さった伊達公子さんが1996年に引退し、彼女の役目を今度は自分が背負わなければというプレッシャーもありましたが、それ以上にシングルスプレーヤーとしての自分を見失っていました。コーディネート役を務めてくれていた母に電話すると「ここで辞めたら、今後何をするにもうまくいかないわね」って

「25歳で引退していたら、全く違う人生を送っていたと思います。あの苦しさを乗り越えられたんだから、と自信にもなりました」
「25歳で引退していたら、全く違う人生を送っていたと思います。あの苦しさを乗り越えられたんだから、と自信にもなりました」