「47人中45番目ぐらいの選手」からのスタート

高橋 マラソン関係のイベント、テレビのキャスターやインタビュアーの仕事が多かったのですが、毎日落ち込んでいましたね。もっと思ったことを整理して言えなかったのか、選手の本音を全然引き出せなかった……とか。

 でも、あるときふと思ったんです。私はもともと高校2年生で出場した都道府県対抗女子駅伝で、47人中45番目ぐらいの選手でした。45番が40番になり、30、20、10番になり、最後はエース区間を任されて区間賞を取れました。そして金メダリストにもなれた。諦めずに努力していけば必ず階段は上っていけると。今でもまだ自信はないですけどね。キャスターの仕事は、取材した選手の努力の過程や人間的魅力を引き出し、その選手を多くの人に応援していただきたいという一心でマイクを向けています。

引退後に「キツいときは人に頼ってもいい」と知った

―― 現在は日本オリンピック委員会(JOC)、陸上競技連盟の理事、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の理事などスポーツ界の重責に就き、大変なハードワークだと思いますが、現役時代の姿を「自分の師」と呼び、今の活動の原動力にしているとか。

高橋 はい。選手だった頃の自分を思い浮かべ、今の仕事がしっかりできているかを考えています。何しろ現役の頃は1分1秒無駄にしたくなかったし、夜寝るときに「今日1日、1秒たりとも手を抜かずやり切った」と納得して1日を終えたかった。そんな現役時代に比べたら、今はまだ7~8割ぐらいの満足感ですね。毎日、やらなければならない課題が次々と現れ、あの判断は正しかったんだろうかと思い悩むことがしばしばです。

 そうそう、引退して、キツいときは人に頼っていいということも覚えました。