今回は、東京2020パラリンピックで金メダルを2つ獲得した杉浦佳子さんの(下)。薬剤師として働いていた45歳の時に事故で負った障害。どのようなリハビリをへて、競技の世界に戻ったのでしょうか。金メダル獲得後には孫も誕生し、次に目指すは「パリ・パラリンピックで『ババでも金』です」と笑います。
(上)挫折を乗り越え、50歳「最高齢で金メダル」
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出産後に受験勉強 偏差値が20上がった
―― 天職ともいえる薬剤師には、子どもの頃からなろうとしていたんですか。
杉浦佳子さん(以下、杉浦) 家業が薬店で、祖母も母も薬種商だったので、私は薬剤師になるのが当然と考えていました。でも、高校を卒業して薬科大学に合格したものの、すぐに妊娠が判明して大学を辞めてしまいました。いわゆるヤンママです(笑)。
当時、夫も大学生だったので生活は困窮。パン屋さんでサンドイッチを1個買い、パンの耳を大量にもらって糊口(ここう)をしのぐ生活を続けていました。でもある時お店の人から「パンの耳は人間が食べてないよね? 床に落ちたものも含まれているから」と言われ、こんな生活に決別しなくてはと思いました。
高校時代は何となく薬剤師と考えて大学受験をしましたが、今度は本気で目指そうと覚悟を決め、子どもが寝ている間に勉強。集中したせいか、半年間で高校時代の偏差値から20もアップしましたね(笑)。
杉浦 ただ、北里大学薬学部に合格したものの、子どもを預けられる場所がない。保育園は親が就労していることが入園の条件なので、学生の私はどこからも門前払いされました。親は地元の静岡で働いているので頼れない。私が住む東京都内の市役所に相談すると「育てられないのなら児童養護施設に預けるしかない」と言われ、がくぜんとしました。育てられないのではなく、大学に行っている間に預ける場所がほしいだけなのに……。