オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。
(上)五輪最多、5つのメダル「限界を突破する恐怖」を超えて ←今回はココ
(下)シンクロ武田 引退後は指導者、母、政治家の妻として
反省はあれども後悔はない競技人生
―― 五輪で獲得したメダル数は、シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)競技で5個。日本女子歴代タイです。この記録はいまだに破られていません。この偉業をご自身ではどう捉えていますか。
武田美保さん(以下、敬称略) どのメダルに対しても満足感や達成感はほとんどないですねえ……。2018年に「国際水泳殿堂」入りをさせていただいた時、米国で行われた式典で、私のシンクロ人生を振り返る映像が上映されていたのですが、映像を見ながらあの時はこうすべきだった、この大会にはこういう気持ちで臨めばよかったとか、反省ばかりでした。ただ、反省はしたものの、後悔はなかったですね。
1996年アトランタ五輪ではチームで銅、2000年シドニー五輪ではデュエットとチームで銀、2004年アテネ五輪でもデュエットとチームで銀と、五輪では金メダルを獲得することはできませんでしたが、メダルの色の悔しさより、自分はもっとできることがあったはず、という反省ですね。
モチベーションが低下 プールの塩素の匂いに吐き気…
―― 出場した3大会の五輪は、それぞれどういう意味を持っていますか。
武田 初出場のアトランタ五輪では、メダルを取ったものの、何かやり切れない思いがあって……。アトランタ五輪前は、代表に選ばれたことに安堵し、本番での自分の演技が想像できなくて、きつい練習をやらされている感覚しかなかった。五輪後、またこんなつらい練習は嫌と思い、次の五輪に向かうモチベーションが湧いてこなかったんです。一時はプールの塩素の匂いがしただけで吐き気がし、心臓がバクバクするほどでした。
でも、きちんと自分に向き合ってみたんです。やっぱりアトランタ五輪では達成感を味わうことができなかった。このまま、自分の演技に納得もできずにシンクロをやめてしまうと、現役後の人生でも、嫌なことがあると避けようとする負け犬根性が染みついてしまう、と危惧したんです。