長野五輪後の「余生」で迎えたターニングポイント

荒川 正直なところ、長野五輪に出場したことで、残りのスケート人生は余生と考えていました。ですから、出場を逃した02年のソルトレーク五輪は深く考えずに過ぎました。ただ、大学3年の03年ごろに米国でアイスショーに出合い、「私も出演したい!」って心が震えるほど感動して。

 でも、世界タイトルを取らないとアイスショーには出場できないことを知り、一念発起して04年の世界選手権で金メダルを獲得。これで心置きなく引退し、米国のアイスショーに出演できると思いましたが、2年後にトリノ五輪が迫り、引退できる雰囲気ではなくなっていました。ですから05年は何のために競技を続けているのか意義が見いだせず、練習にも身が入らない。この年の世界選手権は9位に沈み、フィギュアスケートからしっぺ返しを食らった感じでした。

 私のターニングポイントになったのは、この時です。このままフィギュアからフェードアウトするのは絶対にイヤだという思いがフツフツと湧き上がり、一切の妥協もなく真っすぐスケートにぶつかってみよう、と迷いが吹っ切れた。その覚悟が06年のトリノ五輪での金メダルにつながりました。

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取材・文/吉井妙子