スケートは楽しい、でも勝ちたくなかったジュニア時代

荒川 五輪というものが全然分からない状態で出場していました。ジュニアからシニアに上がったばかりで、私も五輪に出場する資格があるんだったら狙ってみようと。つまり、五輪に出場することが目標。当時、日本は1枠のみだったけど、その切符が取れたことに満足し、五輪での成績は目標にありませんでした。だから世界から集まったトップ選手の演技にただただ圧倒された。せっかくの母国開催だったのに……。トリノ五輪のような意識で臨めたらと考えると、本当にもったいなかったと思います。

 私がフィギュアスケートを始めたのは5歳の時。好奇心の塊のような子どもだったので、幼少のころから水泳、体操、英会話、ピアノなどお稽古事は一通りやり、その中で一番難しかったのがスケートでした。一つ技をマスターしても次はこの技、と際限なく課題が現れることに好奇心がかき立てられたんです。その一方、中学まではフィギュアをやっていることを友達に知られたくなかった。当時住んでいた仙台ではフィギュアをやっている人が少なく「特異な人」と見られるのが嫌でした。

 またジュニアの試合で、私が優勝すると周りの選手との雰囲気が微妙になる。彼女たちの気持ちになれば、ライバルに負けたんだから落ち込むのは当たり前なんでしょうけど、一人っ子の私はきょうだいげんかもしたことがないので、そんな雰囲気に耐えられなくて……。スケートは楽しいけど、勝ちたくはない、という欲のない子どもでしたね(笑)。