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オリンピアンの栄光と挫折

村主章枝 フィギュア引退後に始まった人生の本編

(上)「芸術」に開眼した瞬間。波瀾万丈な4年間を過ごした後に出場したトリノ五輪で4位入賞


オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。今回は、冬の五輪に2度出場した村主章枝さん。彼女が「氷上のアクトレス(女優)」と評されるようになった理由は?

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トリノ五輪で4位。自分に足りなかったものは…

―― 現役時代は演技力の豊かさで「氷上のアクトレス(女優)」と称され、2002年ソルトレークシティー五輪で5位、2006年トリノ五輪では4位でした。その成績をどう捉えていましたか。

村主章枝さん(以下、村主) ソルトレークシティー五輪前の長野五輪(1998年)の選考会では、フリーで失敗して出場を逃していました。その時に五輪の重みや特別感を十分に味わっていたので、ソルトレークシティーの時は、4年間の思いがやっと結実するという充実感でいっぱいでした。

 一方、トリノの時は100%の力を出し切ったはずなのに4位。自分には何が足りないんだろうと思い悩み、その後の競技生活の新たなスタートになりました。

―― トリノ五輪の選考会を兼ねた全日本選手権でのフリーの演技は圧巻。まさに氷上の女優でした。あの時を機にフィギュアスケートファンになった人も少なからずいます。

村主 一発勝負でしたからね。それまでの大会では股関節を痛めてジャンプが飛べず、満足な演技ができていませんでした。だから全日本選手権までは五輪候補選手の中では選考ポイントが最下位。トリノの切符を手にするには、一発逆転で1位になるしかなかったんです。

 崖っぷちに追い込まれたのが良かったのかもしれません(笑)。普段はのんびりした性格なので、背水の陣を敷くしかなかった。ソルトレークシティー五輪以降、03~04シーズンで日本人初のISUグランプリファイナル優勝者になったとはいえ、波瀾万丈(はらんばんじょう)の4年間を送っていまして……。

村主章枝(すぐり・ふみえ)
村主章枝(すぐり・ふみえ)
1980年生まれ。幼少期を米・アラスカ州アンカレジで過ごす。6歳でフィギュアスケートを始め、16歳にして全日本選手権で初優勝。冬季五輪2大会連続入賞(2002年ソルトレークシティー、06年トリノ)、日本人初となるISUグランプリファイナル優勝。14年、28年間にわたる競技者生活を引退し、カナダでプロの振付師を目指す。現在は米・ラスベガスを拠点に、日本、カナダ、中国、韓国他でも指導にあたっている
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