「これが芸術なんだ」と開眼した瞬間

 最初にカナダでニコルさんにお会いしたとき「まずはこれで勉強しなさい」と、ミュージカルや演劇、バレエ、モダンダンスなどのVHSビデオテープを山のように渡されました。それらを見ているうちに「芸術ってこういう世界のことをいうんだ」と開眼。以来、ニコルさんに指示を仰ぐのが楽しくなって、芸術性を伸ばすための練習をかなりやりましたね。

―― 振付師を目指すようになったのは、ニコルさんとの出会いがきっかけですか。

村主 そうです。だから彼女と出会った15歳が私の人生のターニングポイント。トリノ五輪の時は25歳でしたから、そこで引退して振り付けの世界の扉をたたく方法もあったけど、ここで引退してしまったら私は一生ニコルには近づけないという思いもありました。

 振付師の仕事は、演技のコンセプト、衣装のデザイン、選曲とトータルでプログラムを考えなければいけない。どういったプロセス、どういった思考で構築していくのか、彼女に師事しながら傍らでずっと見てきました。

 五輪は聖地。あの独特な空間の中で演技を磨き続けなければ、ニコルのセンスや技術は身に付かないと現役続行を決断。ただ、親からは「資金的な援助はもう無理。現役を続けるなら自分でお金を工面しなさい」と言われ「ごもっとも」と(笑)。スケートは結構なお金がかかり、相当な負担をかけていましたから。