偉大なサラ・ウィル選手に僅差で勝ち、金メダル

大日方 それまで自分の成績しか頭になかったけど、自分の闘う姿が社会性を秘めていることに初めて気付かされたんです。以降、スキーに対する取り組み方が変わったし、パラリンピアンとしての責任も考えるようになりました。

 結局サラは、2002年に引退するまで12個の金メダルを取っていますが、それは取りも直さず、身体に障害があっても努力と工夫次第で、不可能と思われていたことを可能にしてきた証しでもあるんです。そんな偉大なサラに長野では僅差で勝ったことが、私をますます競技にのめり込ませましたね。

―― 長野では盛り上がりましたが、次のソルトレイク大会までパラリンピックを盛り上げる機運が続きませんでした。

大日方 長野の後はまさに「宴の後」でした。ナショナルチームが解散し、練習場所がなくなり、コーチもいない状況になりました。チェアスキーは幅10センチの1本のスキー板の上に椅子が付いているだけなので、板が外れたら自力で動けなくなるし、競技の練習のためには雪上にポールを設置する必要もあり、練習はチームで動いてこそできるのです。その母体が解散してしまったので、競技を諦める選手もいました。

「リレハンメルでサラに出会い、自分の闘う姿が社会性を秘めていることに初めて気付かされました」
「リレハンメルでサラに出会い、自分の闘う姿が社会性を秘めていることに初めて気付かされました」