初めての国際大会がパラリンピックだった

大日方 私が初めてパラリンピックに出場したのはリレハンメル大会。国際大会初出場がいきなりパラリンピックだったんです。次大会の長野を見据え、若手にチャンスを与える「21世紀枠」での出場。でも、成績は散々でした。滑降で5位に着けたのはまだしも、スーパー大回転では自分の力量を超えるスピードを出してしまいコース脇で転倒、救急車で搬送されるはめに(笑)。

電通PR社内では、つえを使ってくことが多い。車いすに乗ることもあるが、つえのほうが小回りが利いて動きやすいという
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―― でも、リレハンメルでパラリンピアンとしての自覚に目覚める出会いがあったとか。

大日方 そう、私と同じチェアスキーヤーで金メダルを取ったサラ・ウィル選手(米国)との出会いです。彼女は普段は物静かで、私たち他国の選手にもアドバイスをくれる穏やかな人ですが、一旦雪上に出ると自分の人生観をダイナミックなシュプールで描いていました。あるとき、彼女にこう言われたんです。

 「多くの人は、車いすユーザーや義足の人はスキーができないと信じ込んでいるけど、私たちはそれができている。私たちは今こうして(健常者の)オリンピックコースを同じように滑っている。それは、不可能だと思われていることも、努力することで可能になることを示しているのよ。私たちはパラリンピックを通して、不可能なことも可能にするメッセージを強く発信することができるの」

 サラの言葉は「目から鱗(うろこ)」でした。