フルスピードで走り続けてきた人生の中間地点に立っているARIA世代。これからどう働いてどう生きようか、何を終わらせて、何を始めようか。人生100年時代の真ん中で、自身にとって「本当に価値あるもの」をどう定めるか。 気鋭の建築家として、世界を股にかけて活躍する永山祐子さんに、自身のキャリアとその転換点、過去、そして未来について前後編でたっぷり語ってもらいました。ご自身でリノベーションした素敵なご自宅も見所です。

設計するだけでなく、ストーリーを込める

 2020年開催となるドバイ万博の日本館や、新宿歌舞伎町の超高層ビルの設計など、国内外で大規模なプロジェクトを手がける建築家・永山祐子さん。

 大学卒業後に青木淳建築計画事務所に入社し、以来、建築家としての道を突き進み、現在43歳。永山祐子建築事務所の代表として多くのスタッフを抱えると同時に、家庭では7歳と5歳の子どもを育てる母親でもある。建築家、経営者、そして母親、いくつもの役割を担い、その生活が多忙を極めているのは想像に容易い。

 独立して事務所を構えたのは、26歳の時。青木淳建築計画事務所の4年卒業制度に則る形だった。建築家の独り立ちとしては早い方だそうだが、「ひとまず4年間だと思って猛烈に働いてきたので、特に不安はなくて、自然な流れでしたね」

若くして独立した永山さん。来年開かれるドバイ万博では“日本の顔”となる日本館を手がけるなど、その動向には常に注目が集まっている

 キャリアの最初の転換点となったのは28歳の時に手がけた、京都大丸のルイヴィトンの店舗。世界的な海外メゾンとの仕事は、大きなプレッシャーとともに自信を与え、永山さんの名前が世に注目されるきっかけにもなった。もともと大阪店のコンペに出していたところ、惜しくも落選。その後、永山さんの作品が京都向きではということでの依頼だったという。クライアントの希望としては、大阪店のデザインをそのまま使いたい。だが、永山さんはそれを飲み込まず、思いを主張した。

 「大阪と京都ではシチュエーションが違うし、街も文化もまったく違う。設計は場所性がとても大切だと考えているので、京都に相応しいデザインを再提案させてほしいと伝えました。まだ若くて素直に口に出すところがあったので、最初にアーケードのある敷地写真をみてこの敷地にコンペの提案は合わないと言ったら、間に入ってくださる方には「ルイヴィトンを撥ね付けるなんて、君は降ろされたいのか!」なんて言われましたが、結果的には新しいデザインに込めたストーリーを理解してもらえました」

 もう一つの転換期は、35歳で豊島横尾館を設計した時。ちょうど第一子を出産するタイミングだった。ビッグチャンスと未知の生活への不安が重なり、押しつぶされそうになった。「今までと違った状況で仕事を続けられるのか、チャンスをきちんと活かせるか、すごく不安でした」

2013年の瀬戸内国際芸術祭で、港町の集落の中に開館した横尾忠則氏の美術館「豊島横尾館」。赤ガラスや黒ガラスなど多様なスクリーン効果を持つ素材を活かし、生と死、日常と非日常が隣り合い、反転する仕掛けに。常に変化し、循環し続けるシーンの集合体としての本館は高い評価を得た(Photo by Nobutada Omote)

 家族の支えもあって作品は完成し、さらに永山さんはこの作品で、建築家にとっての登竜門である賞(JIA新人賞)を受賞。「無事に完成させられたことだけでなく、賞までいただいて、この先もキャリアを続けられるんだと本当にホッとしたのをよく覚えています」