「慎吾ママ」を世に送り出し、数々の人気番組を手がけてきた放送作家・たむらようこさん。20年前に従業員が女性だけの放送作家オフィスを設立して、男社会のテレビ業界に一石を投じ続けてきたたむらさんが、テレビではたらく女たちのリアルをありのままにお伝えします。
チコちゃんに叱られたことはないが、小島慶子さんには叱られたことがある。しかも、わりとコテンパンに。とあるシンポジウムの壇上でのことだ。
私はその時、「女性に対する男性の間違った思い込み」について調子よくしゃべっていた。「女性がみんなマカロン大好きと思わないでほしい。色はきれいだけど、スカスカやないかい」……なんて話の流れだったと思う。
「女性は、みんな“女子アナ”に憧れてる! と決めつけられるのも迷惑」と話した後、私は何の気なしに続けた。「女性の中には“女子アナ”を嫌いな人も結構いますから」。
その直後。小島さんはテーブルに置いてあった手持ちマイクをつかんで、ゆっくり話し出した。“女子アナ”という呼び方は、ある種の蔑称であること。女性アナウンサーが着せられている“女子アナ”という名の着ぐるみ、つまり「わきまえる女」の役割に当事者がどれほど苦しんできたかについて。
確かにその通り。自分の配慮不足や想像力の欠如が申し訳なく、うつむいて反省するしかなかった。
“女子アナ”はおじさんが牛耳る世の中の「象徴」?
私は昔から、“女子アナ”にモヤモヤした気持ちを抱いていた。おじさんが牛耳る偏った世の中の「象徴」のように見えていた。画面の中の“女子アナ”はいつも、おじさん出演者に従順、張り付いたような優等生の笑顔で、セクハラもモラハラも華麗にスルーし、まるでそうすることが「出世する女性の手本」と押し付けられているような気分になったものだ。まぁ完全に、私のやっかみなのだが。
こんにちは、放送作家たむらようこです。コラム「テレビではたらく女たち」、今回は、このように女性アナウンサーへの想いをこじらせまくっている私から見て、女性アナウンサーの中でひときわ異彩を放っていた、フジテレビの阿部知代さんについて書きたい。