30代でアナウンサーを辞め、弁護士という新しいフィールドに挑戦した菊間千乃さん。自らの手でキャリアを選択してきた菊間さんが、心に響いた言葉や感じた事柄について語ります。今回のテーマは最高裁でも審議された「選択的夫婦別氏制度※」です。※民法等の法律では「姓」や「名字」のことを「氏(うじ)」と呼んでいることから、法務省や裁判所では「選択的夫婦別氏制度」と言われます

結婚して初めて分かった「旧姓使用」の不便さ

 「ここは戸籍名でお願いします」と言われることがあります。

 日ごろ、「菊間千乃」の名前で仕事をしていますが、結婚したとき夫の名字に変えたので戸籍上の名前は違います。旧姓で仕事をしていても、たとえば役員登記や株主総会の招集通知には戸籍上の名前を記さなければなりません。仕事で旧姓を使っている女性なら経験があると思いますが、一見、通称で仕事ができているかのようでも、社会保険や税金など、戸籍名を求められるのはよくあること。選択的夫婦別氏制度の話をすると、「通称で仕事できているから問題ないでしょ」と言われますが、そういう問題ではありません。

 むしろ仕事をしている人は通称として旧姓を使う場面が多いですが、仕事を辞めて専業主婦になった場合、旧姓を使うことが全くといっていいほどなくなる。自分の名前が自分ではなくなる、という喪失感は、より大きいのではないかと思います。仕事の連続性というよりは、ずっと呼ばれてきた自分自身の呼称が、入籍を機になくなってしまうという喪失感のほうが、私は大きな問題だと思います。女性活躍、男女平等と言いながら、最後の最後は、男性が構える枠の中に女性が入るもの、と言われているようで。

「子どものころは単純に名字が変わることに憧れていました」
「子どものころは単純に名字が変わることに憧れていました」

 小中学生のころは「結婚」=「名字が変わること」だと思っていて、単純に名前が変わることに憧れていました。20代になると、姓を変えないために事実婚を選ぶ友人もいましたが、そのときも「何がダメなの?」とあまりピンと来なかった。むしろ「早く変わりたい!」と思っていたぐらい(笑)。それが、急に自分ごとになったのは41歳で結婚したときです。

銀行、免許証、パスポート…「旧姓」あるある

 40年以上使ってきた「菊間千乃」という名前がなくなる喪失感は、想像していた以上でした。「選択的夫婦別氏制度は絶対に導入されるべき!」なんて思っていなかったのに、いざ自分の名前がなくなるとなって、言いようのないさみしさと、理不尽さを感じました。夫を通して、夫の両親や兄弟という新しい家族ができることは嬉しいことですが、「お嫁にいく」という言葉にも抵抗がありましたね。「嫁ぐ」って、女の人が家に入るっていう意味ですし。

 物理的にも、免許証やパスポート、保険証の書き換え、銀行の口座やクレジットカードの名義変更、印鑑の作成といった手続きの煩雑さがあります。仕事で飛行機の予約やホテルの予約をお願いするときには、戸籍上の名前をお伝えしなければならなかったり、プライベートと公的な場で名前を使い分けたり。挙げたらきりがありません。

 弁護士の場合は、日弁連(日本弁護士連合会)に「職務上氏名の届出」をすれば旧姓を使用できますが、平成28年度の内閣府の調査によれば、約3割の企業で旧姓使用が認められていないそうです。研究者の世界でも、なかなか旧姓使用が認められず、生命線でもある論文の連鎖が途切れてしまうという問題があったと聞きます。海外で仕事をする場合もビザの名前はパスポート名なので、旧姓で働くのが難しい。

 結婚して、制度的に不便を感じる男性って少ないでしょうし、その男性がマジョリティの国会においては、この不便さになかなか共感してもらえないんでしょうか。一向に立法の議論が進んでいきません。