結婚、流産、失職、離婚、再婚、2拠点生活、更年期…人生の山谷を数多く経験してきた酒ジャーナリスト・エッセイストの葉石かおりさん(53歳)。現在、東京と京都の2拠点で過ごすデュアルライフを実践する中で、仕事の世界を広げる「50代プチ留学」を実現。デュアルライフだからこそ、思い切って決断できたそう。今宵もデュアルライフに乾杯! オススメのお酒とともに、ARIA世代の夫婦の関係性を考えます。

“学び”を後回しにしたつけが50代のビジネスに影響

 「海外を舞台に仕事がしたい。それも自分の言葉で」

 中学生のころ、洋楽番組『ベストヒットUSA』でMCを務める小林克也さんの流ちょうな英語を聞きながら、そんな夢のようなことをぼんやりと考えていました。その夢はどんどん膨らんでいき、「高校を卒業したら留学したい」という思いで胸がいっぱいに。しかし一人っ子の私は、両親の猛反対に合い、反撃することもなく、はかない夢はそのまましぼんでいきました。

高校時代に憧れていた海外留学。その後、海外で数カ月過ごすこともあったが“学び”は後回しに
高校時代に憧れていた海外留学。その後、海外で数カ月過ごすこともあったが“学び”は後回しに

 今考えると、夢といっても単なる憧れで、本気度が低かったんでしょうね。もし本気でかなえたいなら、両親を説き伏せてでも留学したでしょうから。その後、留学の2文字は頭から消え、バブル時代に浮かれた大学生活を過ごしました。

 「留学」という言葉が再び頭をもたげたのは、一般社団法人ジャパン・サケ・アソシエーションを立ち上げたとき。2016年に初めて海外で日本酒のセミナーを行うため、私は久しぶりに単身でバンコクに向かいました。ホテルでチェックインをする際、ほとんど英語を聞き取ることができず、困っていたところを隣にいたビジネスパートナーに助けてもらったのを今でもよく覚えています。チェックインでの会話は中学生でも分かる程度のごく簡単なもの。それさえも聞き取れなかった自分にがくぜんとしました。ホテルだけでなく、レストランでも買い物でも聞き取れないことばかり。「忙しい」を理由に英語を学んでこなかった自分がほとほと情けなくなりました。

 このままでは海外でのセミナーが嫌になる。協会の理念には「日本酒を国酒から、国際酒へ」と掲げているのに、理事長である私が簡単な会話すらできないなんて……。もう悩んでいる時間はない。とにかく英語を勉強しよう。そう考えて決めたのが50代での「プチ留学」でした。