39歳の誕生日の夜、年下の夫から突然離婚を切り出された葉石さん。「子どもを産むことができない自分を責めるばかりの日々が続きました」。そんな中、今の夫と再会し、バツイチ同士で再婚。アラフィフで2拠点のデュアルライフをスタートさせます。今だから語れる、「産まない選択をした自分の本当の気持ち」を振り返ります。
「自分の血をわけた子どもの顔が見たい」
女性として、こんなふうに思ったことがある人は、少なくないと思います。私も、そうです。50代を迎えた今でも、ふと考えることがあります。
20余年前、流産することなく、無事出産していたら、その子はもう成人。女の子だったのかな、男の子だったのかな。どんな夢を抱いて、どんな人生を歩んでいたんだろう。ステキな恋をしていたのかしら……と。
誰も埋められない、産まなかった私の複雑な感情
学生時代の友人たちの子どもや孫の話を聞いて、うらやましくないかと言ったらウソになります。同世代のLINEグループで流れてくる母の日のプレゼントや、子どもの写真を見ると、「自分は一生こういう思いをすることはないんだな」と思い、うまく返事ができなくなってしまうこともあります。それは、あきらめと切なさ、そして羨望からくる複雑な思いがスマホをタップする指を止めてしまうから。子どもがいない私には、子育ての苦労や楽しみを共感できるだけの経験がないというのが一番の理由かもしれません。
子どもがいる人ならではの幸せは、決してお金では買えません。その寂しさと羨望が入り交じった複雑な感情は、親であっても、ましてやパートナーである夫でも埋めることはできないのです。