「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき数多のハードルを前に「移住は夢物語」と諦めている人も多いはず。そこで、国内の自然あふれる地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

(上)41歳から学び直し ブランド広報を辞め福島県昭和村へ
(下)雪国≠寡黙と知った昭和村での移住生活 人生これでいい ←今回はココ

この記事の前に読みたい
41歳から学び直し ブランド広報を辞め福島県昭和村へ


 シドニーとサンフランシスコでの海外生活、北海道への「プチ現実逃避」を挟みながら、東京でマーケティング・コミュニケーション畑を歩んできた須田雅子さん(51歳)。40代で入学した通信制大学で「移動するのは人の性」という考え方に出合い、「一カ所にとどまれない自分」を全肯定できるように。国の重要無形文化財であり最高級の織物・越後上布の原料となる麻の一種、からむし(別名「ちょま」)を卒論のテーマに選び、ちょまへの理解を深めるべく、移り住んだ福島県昭和村での日々とは?

地方での人脈作りのコツは?

 移住者が地方になじむのは大変、とよくいわれますが「自分には当てはまらなかった」と須田さんは言います。

「東京と違って、シドニーやサンフランシスコでは、知らない人でも気さくに声をかけ合ったりするのが普通でしたし、私にとってもそれが自然。昭和村の人たちも同様で、初対面でも壁を作ることなく自然に会話が始まります。それに、私には『からむしについて聞く』という話の切り口があったので、まずは名前を覚え、会話の中で相手の名前をなるべく口にするようにしました。昭和村は同じ苗字の人が多く、下の名前で呼ぶことになるので、自然と親近感もわきます。

 また、雪国=『寡黙な人が多そう』というイメージがありますが、奥会津一帯は少し前まで農村歌舞伎が盛んだった地域。それもあってか、歌や踊りが好きな、明るいお年寄りが多いんです。多くの移住者を受け入れてきた昭和村の人々は、よそ者に対してオープン。初対面の人が、『ちょっと寄ってけ』と家に招き入れ、お茶や漬物をふるまい、帰り際に『持ってけ』と野菜をくれたりする。『(過疎の進む)こんな村に住んでくれて』とありがたがられ、村の暮らしやからむしのこともスムーズに教えてもらえました」

47歳で海外高級ブランドの広報の仕事を辞め、単身、昭和村に移り住んだ須田雅子さん。この日は、からむしを畑から育てて糸にし、機を織る五十嵐良さんを訪ねて糸車の話を聞いた
47歳で海外高級ブランドの広報の仕事を辞め、単身、昭和村に移り住んだ須田雅子さん。この日は、からむしを畑から育てて糸にし、機を織る五十嵐良さんを訪ねて糸車の話を聞いた

 とはいえ、なかにはもちろんシャイな人も。特に、高品質なからむしを育てることで評判の、あるお年寄り夫婦からは、なかなか話を聞けずにいたそう。相手の心を開くには、まずは自分を知ってもらうことが大切。そう考えた須田さんは、彼らのからむし畑に隣接するカスミソウ農家でアルバイトすることに。

 「からむしの栽培は5月に始まり、7月後半から8月初旬の刈り取りに終わる。からむしが育まれる環境に身を置くことができたし、近くの畑で作業していたので相手も身近に感じてくれるようになりました」。成果を急がず、回り道をすることも、地方での人脈作りには必要なようです。