「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき多くのハードルを前に「移住は夢物語」とあきらめている人も多いはず。そこで、地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

(上)コロナ禍で2拠点生活から完全移住 宇部市でビルを再生 ←今回はココ
(下)離婚後に見えた理想の暮らし 最もいい移住の形とは?

住みたい街ランキング上位常連の街から地方へ

 首都圏の住みたい街ランキングで毎年上位に入る東京・吉祥寺。若者にもシニアにも、住んでみたいと思わせる魅力ある街だ。その吉祥寺で18年間、セレクトショップやギャラリーを営んできた谷川(たにかわ)涼子さん(61歳)が、実家のある山口・宇部市との間で2拠点生活をスタートしたのは、2019年秋のこと。

「東京での生活と仕事をとても気に入っていましたから、Uターンしようとは思わなかったんです。ただ、帰省するたびに両親が年老いていくのを実感していましたし、帰って来てほしいと親に言われるようになって。2人の子どもも既に自立していましたし、東京のギャラリーは誰かに任せて、自分は月に一度東京に通う生活ができないかと考えるようになりました」

 折しも、実家に隣接する3階建ての外科医院を父親が2017年に閉院して1年半。築48年になるビルは、使う人がいなくなったことで老朽化の速度が目に見えて速くなっていた。「このまま放置せずに、ここを全国の作家と地元の人が交流する場にできないか」と思ったことが、転居の決断まで至らなかった谷川さんの背中を押した。

生まれ育った町・宇部市と東京との2拠点生活を経て、宇部に移住した谷川さん。母の住む母屋はこれまで同様、母が一人で住み、谷川さんは外科医院だったビルの一隅を住まいに改装。朝食は母屋で母と一緒に取る。「スープの冷めない距離」を実現
生まれ育った町・宇部市と東京との2拠点生活を経て、宇部に移住した谷川さん。母の住む母屋はこれまで同様、母が一人で住み、谷川さんは外科医院だったビルの一隅を住まいに改装。朝食は母屋で母と一緒に取る。「スープの冷めない距離」を実現