「秋には引っ越すね」と伝えた後に父が急逝

 それまでも帰省したときに、実家の離れを使って作家の作品展を開くことがあった。元病院のビルは谷川さんにとっては思い出の場所。子どもの頃は3階からの眺めが好きだった。地元の人からは「元病院の古い建物でエレベーターもない? そんなところにカフェはそぐわない」「更地にして現代的なビルに建て替えるほうがいい」と反対されたが、「この開放感と眺めが好きだから」と、自分の感覚を頼りに3階をギャラリーとカフェにすることに決めた。

 2019年春に帰省して、今後の計画を父親に伝えると、「このビルは好きに使っていい」と喜んでくれた。「じゃあ秋には引っ越してくるね」と言い残して東京に帰った翌月、父は安心したのか急逝してしまう。「約束通りその秋に転居したことは、長年連れ添ったパートナーをなくした母を孤独にしないためにも本当によかったと思っています」

看護師の寄宿舎として使用していた3階を改装してギャラリーに。「個展ごとに場の空気感ががらりと変わります」
看護師の寄宿舎として使用していた3階を改装してギャラリーに。「個展ごとに場の空気感ががらりと変わります」
1971年築で、長らく病院として利用していたビル。大量生産の規格品でない窓枠や手すりなど、室内装飾の細部にも味わいがある
1971年築で、長らく病院として利用していたビル。大量生産の規格品でない窓枠や手すりなど、室内装飾の細部にも味わいがある
1971年築で、長らく病院として利用していたビル。大量生産の規格品でない窓枠や手すりなど、室内装飾の細部にも味わいがある

 念願のギャラリー&カフェ「GLYCINES」(グリシーヌ)をオープンしたのは2拠点生活を始めてから半年後の2020年5月。しかし、2拠点生活は、新型コロナウイルス禍の緊急事態宣言の発令で移動制限がかかったことから1年半で解消。吉祥寺の店は2021年1月に閉めて引き払った。「吉祥寺での最後の2日間、これまでの感謝の気持ちを込めてお店に立ったところ、驚くほど多くの方々に来てもらえて、中には『この店に出合えて私の人生は変わりました』とまで言ってくださる方も。“あぁ、誠実に仕事をしてきてよかった”と思いました」。東京での生活に区切りをつけたと思えた瞬間だった。