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地方で見つけた幸せの形 移住ARIA

留学、海外勤務を経てキャリアをリセット 福井の山里へ

(上)フランス留学→シンガポール勤務→東京でのキャリア生活を捨て、子育てを機に、東京から福井の過疎地域に夫婦で移住


「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき数多のハードルを前に「移住は夢物語」とあきらめている人も多いはず。そこで、国内の自然あふれる地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

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(下)移住=永住じゃない 地域おこし協力隊員として再出発

育休から仕事復帰し、都心での暮らしに疑問が芽生える

 2018年11月、松平裕子さん(45歳)は大学時代から住み慣れた東京を離れ、夫の成史さんと当時4歳だった息子の家族3人で福井市の殿下地区に移住した。ここは福井の市街地から車で30分ほどの距離だが、奥深い山々に囲まれた地区で、人口わずか400人ほど。市内で最も人口が少なく、過疎化が進む地区だ。

 一方で、車を10分走らせれば越前海岸に出られるなど、山と海の両方を堪能できる自然豊かな場所でもある。裕子さんと成史さんがこの地を移住先に選んだ一番の理由は、成史さんの本家が殿下地区にあるからだ。

 「子どもが生まれていなかったら今も東京にいたはず」と二人は口をそろえる。東京での暮らしは万事順調、裕子さんも成史さんもやりがいのある仕事を持って楽しかった。が、裕子さんが39歳で出産し、育休明けで仕事復帰した頃から二人に変化が現れる。

松平成史さん、裕子さん、瑞也(もとなり)君。殿下地区は、福井市で最も過疎化が進む地域。電灯はなく、夜になると辺りは真っ暗に。鹿やイノシシの鳴き声も間近に聞こえてくるという。裕子さんは、移住するまで福井には縁がなかった
松平成史さん、裕子さん、瑞也(もとなり)君。殿下地区は、福井市で最も過疎化が進む地域。電灯はなく、夜になると辺りは真っ暗に。鹿やイノシシの鳴き声も間近に聞こえてくるという。裕子さんは、移住するまで福井には縁がなかった

第10希望の保育園しか通らなかった

 裕子さんと成史さんは大学時代の同級生。長い付き合いだった二人に子どもが生まれたのは5年前。当時、裕子さんは都内の外資系人材育成会社で、成史さんは老舗の酒類問屋で海外マーケティングを担当していた。裕子さんは出産後も「仕事に妥協はしたくない。キャリアも積みたい。何が何でも子育てと両立する」と何のちゅうちょもなく、育休中に保育園を探し始める。

 当時、上野にほど近い台東区入谷の分譲マンションに住んでいた二人。仕事復帰に向けて区の保育園には、利便性を考慮しながら第10希望まで出した。が、すべて落選。半年後の次の選考でようやく通ったのが、自転車で15分の距離にある第10希望の保育園だった。二人で協力し、朝は勤務先の近い成史さんが7時40分に保育園まで自転車で連れていき、夜は裕子さんが迎えに行く。疲れた体で遠い園まで迎えに行き、家に帰るといつも20時近くになっていた。

東京・上野に近い分譲マンションで何不自由ない暮らしでも…

 「明日も早いからと、すぐに夕飯を食べさせてお風呂に入れて無理やり寝かせる。朝もまだ1歳の息子をたたき起こして朝食を強引に食べさせ、すぐに園に連れていく。子どもが一番かわいい時に一緒にゆっくり過ごすことができないのが本当につらかった。その頃から夫と『このままの生活でいいの?』と話し合うようになりました」(裕子さん)

 「マンションも買っていたし、東京の生活は何不自由なかった。このまま働き続ければ、時々は家族と旅行に行けるくらい余裕のある生活が、定年まで続いていく。僕も仕事は楽しかった。だけど、子どもとの生活を考えたら、それが正解に思えなかった」(成史さん)

 次第に二人の脳裏に浮かび始めた選択肢が「移住」だった。

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