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地方で見つけた幸せの形 移住ARIA

40代後半は介護で暗黒の3年 逃げ場だった福岡へ移住

(下)建築家・遠藤幹子/移住後に始めたマリンスポーツがワークライフバランスを変えた


タイに留学していた子どもはオランダの大学に進学することになり、遠藤幹子さんの建築家としての仕事も、海外、国内ともに大きなプロジェクトを抱えてますます充実。そんな中、家族の介護問題に悩まされた遠藤さんは、心のやすらぎを求めて福岡への移住を決意します。

(上)子育てする生活者としての経験が、仕事での強みになった
(下)40代後半は介護で暗黒の3年 逃げ場だった福岡へ移住 ←今回はココ

親の介護トラブルで追い詰められる日々

編集部(以下、略) 2016年ごろから、両親の介護でかなり大変な状況だったそうですが。

遠藤幹子さん(以下、遠藤) はい、私が45歳のときですが、横浜に住んでいる母の再婚相手の義父、そして母が相次いで倒れ、その介護のために奔走することになります。私には兄がいるのですが、闘病中だったため実質的に義父と母の介護問題の窓口はすべて私がすることに。二人が倒れてから、母、義父と順に亡くなるまでの3年間は、人生の中でも暗黒期といえるほど、毎日のように起こる予測不能な出来事の連続でした。

 義父の看病と入居する施設探し、実家の整理、お金の管理……。物理的な大変さもありますが、さまざまなトラブルの電話が常に私の携帯にかかってくる状態で、メンタルがかなり疲弊。いつも誰かに愚痴や起こる事件の話をメッセージして、苦しい状況を聞いてもらっていました。

 相談相手が1人に偏らないように、10人くらいの友達や親戚をローテーションする感じで電話するんです。時には、海外の娘と元夫との3人のLINEに長い泣き言を書いて 励まされることもありました。娘は早くから海外で1人で暮らしてきたこともあって、すごく頼りになる存在なんです。

 そんな精神的に厳しい状況のときに、仕事で頻繁に福岡を訪れていたことが、今の福岡暮らしにつながっています。

「福岡にいる間は家族の問題から解放される。私にとっては逃げ場だったのかもしれませんが、大事な場所だったんです」と当時を振り返る遠藤さん
「福岡にいる間は家族の問題から解放される。私にとっては逃げ場だったのかもしれませんが、大事な場所だったんです」と当時を振り返る遠藤さん

トラブルから距離を置ける福岡で得られた安堵感

―― 具体的に福岡に拠点を移すことを決めたのはいつですか。

遠藤 母が亡くなる数ヶ月前あたりから、出張でしょっちゅう福岡のホテルに泊まっていて、もったいないので部屋を借りてしまおうと考えたんです。

 義父は相変わらず問題を起こして色んなトラブルの電話がかかってきますが、福岡に来ている間は面倒な出来事から開放された気持ちになれたんです。それで、調べてみたらとてもいいビンテージマンションがあって、「ここだ」って、すぐに契約を進めました。すると入居日の直前に急に母が亡くなり、さらにその直後、千駄ヶ谷のマンションを建て替えたいと大家さんから言われたんです。

 いろいろなタイミングが重なり、これはもう「今行きなさい」って言われてるのかなって。それで、千駄ヶ谷立ち退きのタイミングで、思い切って福岡にコワーキングスペースを借りて会社を移転し、住民票も福岡に移し、東京を一旦引き払いました。

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