「やる気のない人間がいる場所じゃない」と天職から離れる

 新譜案内誌や音楽番組などの印刷物を担当し、朝から働きづめで気づけば深夜の日々。体力的には過酷だったものの、培ったスキルを生かし第一線でやりたいことを形にできる毎日は、とても充実していたと話します。「音楽業界での仕事は、私の天職だ! と思うほどでしたね。現場の指揮を執りながら次第に下の世代を育てる立場にもなり、振り返れば11年間、38歳まで在籍していました」

 一人で大きな予算を動かす責任のある仕事にやりがいを感じていましたが、思わぬ形で天職から離れることに。「重要なプロジェクトの商品発売が間近に迫っている際に、前代未聞のトラブルが起こって……。印刷は止められない、発売延期の手段もないという中、最終決断を一任されました。結果はイチかバチかの勘が当たり、最悪の事態は免れたのですが、そこで自分の全てを出し切り、放心状態になってしまったんです

 仕事への情熱から常日ごろ、相手が先輩でも思ったことは何でも面と向かって言うタイプ。自分にも厳しく向き合っていた岩淵さんは「そんなふうに振る舞っていた私自身が、もぬけの殻のようになってしまって『こんなにやる気のない人間がいる場所はない』と思いました。誰かに何か言われたわけでもなく、そのまま会社にいれば安定した給料がもらえて、先を考えたら辞めないのが一番なんですが……バカですよね」。

結婚で始まった初めての北海道、札幌暮らし

 次の一歩を探す中、趣味で長く続けていた茶道を通して知り合った懐石料理店の社長から「うちで働かない?」と誘いが。「将来的にはお茶の先生になるのもありかな? と、とりあえずアルバイトで入らせてもらったのですが、そのころに知り合った人とうっかり結婚してしまって(笑)。相手は東京へ出向で来ていた北海道の人で、結婚を機に生まれて初めて東京を離れ、札幌市に住むことになりました

東川に移住し、カフェレストランをオープンして4年。「ご飯かスープかサラダか、私の笑顔がなくなったらお店はクローズ(笑)」と今は自分のペースで仕事を楽しんでいる
東川に移住し、カフェレストランをオープンして4年。「ご飯かスープかサラダか、私の笑顔がなくなったらお店はクローズ(笑)」と今は自分のペースで仕事を楽しんでいる