幸せの物差しは「東京でいい暮らし」の1本じゃない

亜紀さん 幼い頃、父の赴任先のスイスに数年住んだ以外、ずっと東京暮らし。地方に住む親戚もおらず、田舎というものがピンとこない。地方創生の仕事を通じて初めて、東京で働き、暮らす以外のライフスタイルがあることに気づきました。

 当時、東京に住んでいた私が抱いていた思いは、「いい会社に勤め、お給料もいいはずなのに、不満を抱えていて幸せそうに見えない人が多いな」ということ。幸せの物差しが「東京でいい暮らしをすること」の1本きりだから、レールを外れまいと必死になる。一方で、地方は持っている魅力を発揮できず、人口流出が止まらない。私自身は、レールを外れて地方で暮らすほうが幸せになれると思いました。また、東京など都市部で暮らす人の多くが本質的には田舎暮らしに向いていて、一歩を踏み出すことさえできれば、持続可能でハッピーな地域と人が増えるんじゃないかと思いました。

―― 亜紀さんが着目したのは、富士山の北、標高700~1000mに広がる芦川でした。

亜紀さん 偶然読んだ山梨の地方紙で、芦川で地方創生事業に取り組む団体が発足したと知り、「コラボしませんか」と押しかけ女房よろしく申し出ました。それが2007年のことです。

畑では、かぼちゃ、ズッキーニ、パプリカなど、約20種類の野菜を栽培。今年からそば作りもはじめた。獣害対策ネットなどの効果も万全ではなく、「シカやイノシシに“試食”されちゃう(笑)」(亜紀さん)ことも多いそう
畑では、かぼちゃ、ズッキーニ、パプリカなど、約20種類の野菜を栽培。今年からそば作りもはじめた。獣害対策ネットなどの効果も万全ではなく、「シカやイノシシに“試食”されちゃう(笑)」(亜紀さん)ことも多いそう

住民になり、内側から村を活気付けたい

―― 芦川町は面積の9割が森林で、かつて養蚕と炭焼きが主産業だった山里。お年寄りたちは「なんにもないさよぉー」と口々に言いますが、芦川には美しい湧き水が流れる水路や、兜(かぶと)作りと呼ばれるこの地方独特の屋根の古民家が昔の姿のまま残っていました。

亜紀さん 開発の手が入らなかった分、自然が豊かで町並みも美しく、なにより人が優しい。芦川を訪れる人を増やそうと、田植えや稲刈りなどの農業体験を絡めた企業研修やワークショップを6年間続けました。ただ、年に10回ほど芦川を訪れ、コンサルタントとして外側から関わるだけではだんだん物足りなくなって。芦川に根を下ろし、私自身が田舎暮らしを楽しみながら、住民として内側から地域を活気づけたいと考えるようになりました。