「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき数多のハードルを前に「移住は夢物語」とあきらめている人も多いはず。そこで、国内の自然あふれる地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

(上)週末介護は無理 25年勤めた会社を辞め岩手にUターン
(下)岩手にUターンして気づいた「復興のためにできること」 ←今回はココ

 「東日本大震災で甚大な被害にあった故郷のために何かしたい」という思いが募り、母親の病気を機に「週末介護はできない」と実感した。この2つが重なった安保道子さん(56歳)は、「帰れるうちに帰ろう」と決意し、30年近く暮らした東京に別れを告げて53歳で岩手県盛岡市にUターンしました。(下)では、移住後の暮らしについて詳しく聞きました。

移住前も、移住後も仕事が大好き

 安保さんは自他ともに認める仕事人間。人生の中心にあるのは移住前も今も大好きな仕事だ。東京で勤務していた会社が、大手企業からのアウトソーシングで採用や人材育成業務も請けていた関係で、採用や人材育成に関わったことはあったが、それはあくまでも裏方として。だが今は、前職の経験を生かし、自分の勤める岩手県北自動車(岩手県北バス)で採用や人材育成を実践できているのがうれしい。

 「かわいい、本当にかわいい」と安保さんが絶賛するバスガイドたちがどんどん成長していく様子が分かり、手応えとやりがいを存分に感じている。

2017年、東京から故郷である盛岡市に移住した安保道子さん。岩手県北バスはかつて盛岡に住んでいた頃に利用していたが「まさかそこで自分が働くようになるとは思わなかった」と安保さん
2017年、東京から故郷である盛岡市に移住した安保道子さん。岩手県北バスはかつて盛岡に住んでいた頃に利用していたが「まさかそこで自分が働くようになるとは思わなかった」と安保さん

様変わりした時間軸。暮らしが豊かになった

 生活満足度を尋ねると、東京が80点、盛岡は90点という答えだ。

 「東京時代も楽しくて生活に満足していたし、盛岡に帰ってからもそれは変わりませんね。ただ、時代もあったのでしょうが、東京では働き過ぎていました。1カ月の残業が何十時間になったこともしばしば。営業職時代は競争、競争の毎日でそれはそれで楽しかったけれど、今は全然違う時間軸で暮らしています

 東京のマンションは売り払い、実家に戻って現在は79歳の母と一緒に暮らしている。自宅の庭で花を育て、朝は水やりをしてから7時半に職場へ向かう。職場までは車で30分。時には残業もあるが、普段は19時ごろまでには自宅に帰り、母の作った夕食を食べ、21時には自室に行き、リラックスして過ごす。東京では、旅行に行くにも準備と気合が必要だったが、ここでは、「きょうは天気がいいから海を見に行こうかな」とか「十和田湖に行ってみよう」とか気軽に休日ドライブを楽しめる。

 「時間にゆとりができました。そうすると気持ちにも余裕が出てくる。『山菜が出てくるな』とか『これからウニがおいしくなる』とか季節の移り変わりに敏感になりました。暮らしは確実に豊かになりましたね」