「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき数多のハードルを前に「移住は夢物語」とあきらめている人も多いはず。そこで、国内の自然あふれる地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

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(下)岩手にUターンして気づいた「復興のためにできること」

 「安保さーん、笑顔でお願いします!」

 集合写真の撮影中にフォトグラファーが声をかけると、若いバスガイドたちがどっと笑う。真ん中にいる安保道子さん(56歳)も「ガイドたちは笑顔のプロだけれど、私は違いますから」とほほ笑む。

 ここは、岩手県盛岡市にある岩手県北バス(岩手県北自動車)本社。安保さんは同社で人事担当マネジャーを務めている。採用担当として県内の学校をくまなく回り、これぞと思う学生をリクルーティングする。入社後は「意欲を持って働き続けられるように」環境を整えて若い社員を支援する。入社前から知っているかわいいガイドたちは、いわば安保さんの娘のような存在だ。

2017年、東京から故郷である盛岡市に移住した安保道子さん。東京でのキャリアを生かし、現在、岩手県北バスの人事担当マネジャーとして活躍している。自身が採用、育成を手掛ける入社1、2年目のバスガイドたちと
2017年、東京から故郷である盛岡市に移住した安保道子さん。東京でのキャリアを生かし、現在、岩手県北バスの人事担当マネジャーとして活躍している。自身が採用、育成を手掛ける入社1、2年目のバスガイドたちと

「年の数だけ履歴書を書く」と覚悟をしていたら…

 安保さんが30年以上暮らしていた東京から、故郷の盛岡市に帰ろうと決意したのは2017年の夏。53歳のときだった。それまで勤めていた会社を9月末に辞めようということは決めていたが、盛岡での働き口の当てはなかった。

 「知人のキャリアカウンセラーからは、『年の数だけ履歴書を書きなさい』と言われました。つまり50枚以上履歴書を書かないと決まらないということ。年も年だし、私も覚悟して、コピー用紙やクリアファイルを大量に購入し準備していたのですが……」

 偶然、同社の人事担当マネジャーの募集を知り、「まあ、無理だろうな」と思いながら履歴書を送ったら即連絡が来た。9月30日に試験、10月初めに面接があり、10月10日には内定をもらい、11月にUターンと同時に入社した。

 予想外のトントン拍子に一番びっくりしたのは本人だ。安保さんはアラフィフ転職を成功させた移住者であり、本連載「移住ARIA」で初めての民間企業の女性管理職。安保さんのケースから移住の成功パターンが見えてくるかもしれない。