「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき多くのハードルを前に「移住は夢物語」とあきらめている人も多いはず。そこで、地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

(上)消費社会への疑問…長野に移住し築60年の小屋をリノベ ←今回はココ
(下)冷蔵庫もレンジもナシ「持たない暮らし」を移住先で実践

 一家5人で暮らすのは、塵(ちり)ひとつなく整えられた木造の「小屋」。広さはおよそ30平方メートル。家電は洗濯機だけというシンプルさです。「大家さんいわく、昭和30年代の伊勢湾台風で一部が壊れたため、減築して今のサイズになったとか。少なくとも築60年以上ということですね」とほほ笑む、フリーランスエディター兼ライターの増村江利子さん(47歳)。

 都心でのマンション暮らしをへて、40歳のとき、長野県諏訪郡富士見町に電撃的に移住。ミニマリストとしての顔も持ち、サステナブル(持続可能)系スタートアップの取締役も務める増村さんが、この町での暮らしにたどり着くまでにどんな人生があり、さらにどんな未来を紡ごうとしているのでしょうか。

2014年、東京・神楽坂から、八ヶ岳・南アルプス山麓の長野県諏訪郡富士見町に移住した増村江利子さん。フリーランスエディター兼ライターとして活動するほか、サステナブルな商品やサービスの開発を行う「おかえり株式会社」の共同創業者でもある
2014年、東京・神楽坂から、八ヶ岳・南アルプス山麓の長野県諏訪郡富士見町に移住した増村江利子さん。フリーランスエディター兼ライターとして活動するほか、サステナブルな商品やサービスの開発を行う「おかえり株式会社」の共同創業者でもある
「まきは、山の整備を手伝ったときなどにもらう倒木や間伐材がメインで、買ったことはありません」。斧(おの)を使ってのまき割りも、富士見町に来てから身に付けた、生きていくためのスキル
「まきは、山の整備を手伝ったときなどにもらう倒木や間伐材がメインで、買ったことはありません」。斧(おの)を使ってのまき割りも、富士見町に来てから身に付けた、生きていくためのスキル

「なんてことをしてきたのか」。東日本大震災を機に猛省

 増村さんが文章を書く楽しさに目覚めたのは、Web制作会社からある企業の採用広告の部署に出向した20代半ばのこと。

 「自分がつくるコピーで、どの企業に就職するかという、誰かの人生が決まってしまうことさえある。その面白さとやりがいに引き込まれました」

 ただ仕事は猛烈に忙しく、帰宅は連日明け方近く。週末も休めず、心も体も疲弊する一方でした。生活を立て直そうと決心した増村さんは28歳のとき、一念発起して川崎市郊外にマンションを購入。相変わらず激務は続きましたが、時間をやりくりして食事を作り、持ち物も整理。モノを持たない心地よさに目覚めたことで、気付けば「靴下も下着もシャツも2枚ずつだけ」というミニマリストになっていました。

 その後、総合情報サイトを運営する企業に転職。大手住宅メーカーなどのクライアントを抱え、広告記事の企画、取材、執筆、編集までを行うように。当時の家は、32歳で結婚した前夫と共同購入した、有名建築家設計の神楽坂のマンション(川崎市のマンションは売却)。多忙ながらも、誰の目にもスマートに映る都市生活を送っていました。

 そんな日々に疑問を抱くようになったきっかけが、長女出産直後に起きた、東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発の事故でした。「電気が原子力によってつくられていることを忘れ、スイッチひとつで使ってきた無知さに、『今までなんてことをしてきたのか』とうなだれました。我が子のミルクを作る水道水の安全性にも確信を持てない。そんな不安にも打ちのめされました」