「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき数多のハードルを前に「移住は夢物語」とあきらめている人も多いはず。そこで、国内の自然あふれる地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

(上)アラフォーで子連れ移住 長野県佐久穂町で始めた新生活 ←今回はココ
(下)台風で住む家がない! 脱「移住ハイ」で芽生えた覚悟

 東京から車で2時間半。北八ヶ岳山麓の長野県南佐久郡佐久穂町。2018年、当時5歳の息子と2匹の愛猫と共に、標高800メートルのこの町に移り住んだ山上雅子さん(42歳)は、地域おこし協力隊として活動するかたわら、写真撮影や皿の絵付けも手掛けるシングルマザー。その半生は「まさか!」の連続だったといいます。移住にまつわるエピソードも小説のようにドラマチックでした。

2018年、当時5歳だった長男と共に長野県佐久穂町に移住。地域おこし協力隊員として働きながら、撮影や皿の絵付けも行う山上さん。背後にそびえるのは、町のシンボル・茂来山
2018年、当時5歳だった長男と共に長野県佐久穂町に移住。地域おこし協力隊員として働きながら、撮影や皿の絵付けも行う山上さん。背後にそびえるのは、町のシンボル・茂来山

夢に破れ、結婚・出産。平穏な未来を信じていた日々

 自らを「ロスジェネど真ん中世代」と呼ぶ山上さん。名門女子大を卒業するも就職活動を諦め「手に職を」と門をたたいたのは、週刊誌のグラビアなどを撮る著名カメラマンの事務所でした。

 「アシスタントの仕事は休みもなく過酷でしたが、どんな写真でも撮れるカメラマンになりたくて、必死で修業しました」。弟子入りから3年後、山上さんが撮ったセミヌードの写真を見た師匠が放ったのは「もっとヌケる写真を撮ってこい」の一言。「その瞬間、自分の中にある『良心』が壊れる感覚がありました」

 その後、フリーカメラマンとして独立したものの、折あしく当時はフィルムカメラからデジタルカメラへの過渡期で、撮影のギャラが暴落した時代。「食えなくてもこの世界で生きていく、との覚悟を持てず、カメラの仕事はきっぱり辞めることにしました」

 27歳でIT企業の派遣OLに転身。「これからは『普通の女の子』に戻り、結婚もするぞ、と。仕事は正直、面白くなかったけれど、アシスタント時代に夢だった週休2日生活を満喫。リーマン・ショックの際も派遣切りに遭うことなく、週末は趣味の登山に明け暮れました」

 31歳で結婚して横浜に一戸建てを購入後、子宝にも恵まれ、36歳で長男を出産。「未来に一点の不安や迷いもなく、自分はこのままずっと、平穏に暮らしていくのだと信じていました」

移住後に、山上さんが制作し始めた器シリーズ。シソとゆずが描かれた平皿は、「凝った盛り付けをしなくても、料理の見た目が華やぎ、時短になる」という手抜きのアイデアから。地元を代表する浅間山、八ヶ岳、茂来山、荒船山の4つの山をモチーフにした小皿は、半年で200枚以上を販売した
移住後に、山上さんが制作し始めた器シリーズ。シソとゆずが描かれた平皿は、「凝った盛り付けをしなくても、料理の見た目が華やぎ、時短になる」という手抜きのアイデアから。地元を代表する浅間山、八ヶ岳、茂来山、荒船山の4つの山をモチーフにした小皿は、半年で200枚以上を販売した