「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき多くのハードルを前に「移住は夢物語」とあきらめている人も多いはず。そこで、地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

(上)がんで余命宣告→寛解して移住 猟師として町を救う ←今回はココ
(下)狩猟→解体→カフェで提供 移住した町で動物と向き合う

34歳で起きたまさかの事態 泣く泣く仕事を辞めた

 伊那街道の宿場町として栄え、今も紅葉の名所として知られる愛知県豊田市足助町。田畑があちこちに点在する、名古屋から車で約1時間ののどかな中山間地です。

 「10年前の自分に、今、私がここで何をしているかを話してもまず信じないでしょうね」

 2017年、名古屋のベッドタウンの刈谷市から足助町に移住した清水潤子(50歳)さんは、そう言って笑います。それもそのはず。現在の職業は、以前の仕事からは想像もつかないハンター兼ジビエカフェ店主。江戸時代に建てられた古民家に暮らし、田畑を荒らすシカ、イノシシ、アライグマなどの有害鳥獣を年間100頭あまりも捕獲するだけでなく、解体や調理まで行っているのですから。

 前職は「やりがいに満ちていた」という介護職。仕事にまい進していた清水さんに何が起き、現在地へとたどり着いたのでしょうか。

2018年、会社員の夫とともに愛知県豊田市足助町に移住。「弟子を教え導く『師』でもないのに、自分を猟師と呼ぶのはおこがましい」と「ハンター」を名乗る清水潤子さん。猟の相棒で、熊野犬の血を引く「ベリー号」と
2018年、会社員の夫とともに愛知県豊田市足助町に移住。「弟子を教え導く『師』でもないのに、自分を猟師と呼ぶのはおこがましい」と「ハンター」を名乗る清水潤子さん。猟の相棒で、熊野犬の血を引く「ベリー号」と

 清水さんは新潟県長岡市出身。愛知県の大学で学び、三重県内の障害者施設に就職しました。「多忙でしたが、子どもから大人までさまざまな人を担当し、触れ合う中で、私自身、日々多くのことを学べました。障害者介護の仕事が大好きで、一生続けようと思っていました」

 ところが34歳のとき、人生が一変。体調に異変を感じ、診察を受けたところ、いきなり末期がんを宣告されたのです。