「都会を卒業して、田舎でゆったり暮らしたい」――誰しも、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか。とはいえ、家族の説得、家や仕事探し、新たなご近所さんとのお付き合いなど、越えるべき数多のハードルを前に「移住は夢物語」とあきらめている人も多いはず。そこで、国内の自然あふれる地方に移り、新たな生活をスタートさせた「移住の先輩」に移住成功の極意を聞きます。

(上)「50歳前に移住」と決意 バリキャリ捨て夫婦で長崎へ
(下)過疎地に移住 50代の今だから、不便を工夫で越えられる ←今回はココ

読み方も知らなかった町に勘で移住

 東京に住んでいたときは、外資系に勤務するいわゆる「バリキャリ」。それを投げ打ち、「50歳前に移住する」と決めていた齊藤晶子さん(52歳)。夫の仁(じん)さん(53歳)とキャンピングカーで移住先候補を巡ったのはおよそ4年前。二人が「最初は町名の読み方すら知らない町だった」という、長崎県東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)東彼杵町に移住を決めた理由はなんだったのだろうか。晶子さんはこう振り返る。

 「学生時代にヨットをやっていたこともあって、暖かくて海のそばがいいという希望はありました。夫は大阪出身だけど大学から東京で暮らしているので、あまり近畿圏を知らない。それで四国か九州方面にあたりをつけ、調べていくうちに福岡県の糸島半島とか沖縄県の宮古島などが候補に挙がったんです。ところが、行ってみたら、家賃が鎌倉とそう変わらないくらい高かったし、物件そのものも少なかった。そのうえ、すでに移住者が結構いた。できれば移住者が少なく、『完成されていない町』のほうが、私たちにも地域貢献できるかもしれない。そう考えて、雑誌で知った移住サポート制度を活用して長崎県内を見て回ることにしたんです」

 「迷ったら、最後は『勘』で決めるか、流れに流されてみる」という晶子さん。持ち前の「勘」で、キャンピングカーで回ったときに心に留まったのが、この東彼杵町だったそう。

「困ったことがあれば、地域の人が手を差し伸べてくれたり、家に帰ると誰かが野菜を置いてくれていたり。そういうことの一つひとつに幸せを感じます」(晶子さん)。「さいとう宿場」の1階にはカフェスペースもあり、近所の人との交流の場や、地域の人と旅人との出会いの場にもなる
「困ったことがあれば、地域の人が手を差し伸べてくれたり、家に帰ると誰かが野菜を置いてくれていたり。そういうことの一つひとつに幸せを感じます」(晶子さん)。「さいとう宿場」の1階にはカフェスペースもあり、近所の人との交流の場や、地域の人と旅人との出会いの場にもなる

 「諫早(いさはや)や大村という大きな町に近く、ハウステンボスにも近い。長崎空港や、お茶で有名な嬉野(うれしの・佐賀県)からも車で20分ほど。田舎だけど意外に便利な場所なんです。東彼杵も『そのぎ茶』というおいしいお茶の産地で、至る所に茶畑があって景色もいい。駅にも近いし、ここなら宿とか飲食とかできそうだなと」 

 下見のときに、現在「さいとう宿場」として借りている建物が空き家であることを知り、気になっていたが、この家を借りられるかどうかは未知数だった。それでもここが気に入った二人は2016年11月に近くの空き家を借りて移住。小さな畑もあり、晶子さんが昔からやってみたかった家庭菜園も始めることができた。

 ゲストハウス実現に向け、物事が大きく前進したのは、2016年12月から仁さんが「地域おこし協力隊」として町役場の仕事を始めてから。「地域おこし協力隊」とは、大都市圏から過疎地域に住民票を移し生活の拠点とした人に対し、自治体が地域おこし事業要員として委嘱する総務省の制度。最大3年の任期中、経費を含めて一人400万円を上限に報酬が支払われる。

移住成功、5つのSTORY ・まずはお試し暮らしをしてみる・近所のアドバイスには素直に耳を傾ける・都会並みの過剰なサービスを期待しない・地域のキーパーソンを見つける・移住するなら気力、体力が十分あるうちに